物語とか書いてみる ID:7K8h533b

36以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 20:05:26.74 ID:7K8h533b

 「神の対義語」は、俺たちが見ている間に振れ幅をどんどん大きくしていく。円盤はもう何度も右回りと左回りを繰り返していた。足の角度が水平を超えたときには思わず身震いがした。

「あんなに高くあがるんだ。ねえこれ楽しそうじゃない?」成田が明るい声で言う。全く同意できない。もしかしたら俺と彼女は分かり合えないのかもしれない。

 しばらくすると「神の対義語」は段々と振れ幅を小さくして、やがて止まった。乗客が全員降りると、行列が動く。俺たちもスタッフに案内されて乗り場に入り、ロッカーに荷物を入れて靴を脱いだ。「神の対義語」の座席は、輪の外側を向くようについている。そのうちのひとつに座り、動き出すまで待つ。考えないようにしても、さきほど見ていた「神の対義語」の動きが脳裏に浮かぶ。あの高さまで座席が上がるのかと、つい目線を上げてしまう。隣の席では成田が安全バーを下げて、両足をぶらぶら動かしていた。

 またジェットコースターの時と同じ目に遭うのではないかと不安で仕方ない。いっそのこと調子が悪いとか言って逃げようかと考えていると、スタッフがやってきて「失礼します」と言って俺の席の安全バーを下ろしていった。まだバーは動かせるものの、こうなっては席を離れるのも気が引ける。

 げんなりしながら待っていると、スタッフが、「安全バーの確認をしますので少々お待ちください」と呼びかけた。スタッフが次々と乗客のバーを確認して回る。試しにバーを動かそうとしたが、もうロックが掛かっているらしくぴくりとも動かない。これだけしっかり固定されていれば落ちることなどないだろうが、逃げることもできなくなった。

38以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 20:14:59.15 ID:7K8h533b

 確認が終わると、スタッフが離れる。機械の動くゴォーという音がして「神の対義語」が動き始めた。初めはブランコのように小さくゆっくり揺れていたが、それでも安全バーを強く握る。今でこそ揺れは小さいが、そのうちさっき見たようにとんでもない高さまで上がるのだ。そう思うと呑気に構えてなどいられなかった。

 徐々に振れ幅が大きくなっていく。それにつれて速度も上がる。座席は地面の近くをすごい速さで通り過ぎ、空中のある高さで一瞬止まる。そして乗客に浮遊感を与えながら再び地面に向かって動き出す。座席は一往復するごとに半周だけ回転している。

 乗る前から抱えていた緊張は、座席の到達する高さが高くなるにしたがってほぐれていった。乗り場の前の行列を見下ろすほどの高さに到達した頃には楽しいとすら感じていた。座席が回転しているため、動きが止まる度に違う景色が見える。真っ青な空が広がっていたり遊園地を歩く人々の姿が見えたりと、同じところを往復しているのに乗っていて飽きない。他の乗客のわーきゃー言う声も聞こえた。隣の席からは成田の声も聞こえる。ジェットコースターのように動きが予想できないわけではないから余裕がある。自然と「おお、すげえ」などとつぶやいていた。座席が水平の高さを超えたときには怖いと思ったが、どうしようもないというほどでもなかった。安全バーがあるおかげで安心してそのスリルを楽しむことができた。

39以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 20:20:44.99 ID:7K8h533b

 やがて振れ幅が小さくなっていく。自分でも意外なほど「神の対義語」を楽しんでいたが、そろそろ終わりらしい。名残惜しく思いながら揺られているうちに座席の揺れ方が小さくなり、やがて止まった。「安全バーを上げて、ゆっくりとお降りください」というスタッフの声にしたがい、席から降りる。少しふらふらしたが気分は悪くなかった。
「結構楽しかったね」と成田が声をかけてくる。彼女も「神の対義語」を満喫したらしく、満面の笑みを浮かべていた。

「おおそうだな」自然と顔がほころんだ。ジェットコースターの時に比べたら全然余裕があった。

 二人で並んで乗り場の脇の方に行き、除けてあった靴を履いてロッカーの荷物を取りに行く。

40以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 20:27:31.62 ID:7K8h533b

 「神の対義語」の乗り場から出て二人で感想を言いながらどこへ向かうともなく歩いていると、ネプランドの常設ステージの近くに来た。このステージでは、有名なタレントや歌手などが来てイベントを開催したり、他にもこどもの日やクリスマスなどには、ネプランドのマスコットたちがちょっとした劇を披露することもある。今日も何かやっているらしく、ステージの前にはかなりの人だかりができていた。

「今日なんかあるのかな?」と言うと、横で成田が「さあ。なんだろう」と答えた。ステージの上には誰もおらず、どうやら人だかりは何かを待っているようだ。

「とりあえず行ってみるか」とステージの方に足を向ける。近づいてみると、人だかりの少し手前に看板が置いてあった。それによると、今日はここで歌手の倖田來未がゲリラライブを行うらしい。

「え、倖田來未だって!今日来てるんだ!見て行こうよ」成田が言う。

「そうだな。最近テレビで見ないと思ったらこんなことしてたのか」特別彼女のファンではないが、生で歌が聞けるのであれば聞いてみたい。

 人だかりの後ろの隅の方に場所を取った。ここからでもステージは見渡せる。人だかりは期待でざわざわとしていた。

「それにしてもなんでこんな田舎の町に来たんだろうね」いかにも不思議といった口調で成田が言う。

「まあ人気あるだろうし、都会でゲリラライブなんてできないんじゃないか。いろいろ面倒なことになりそうだし」たぶん人の多い街中で突然こんなことをしたら今以上の人だかりができるだろう。そうなれば他の通行人の迷惑になるし、最悪の場合警察沙汰になりかねない。

41以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 20:35:34.24 ID:7K8h533b

 倖田來未はいつ来るのかとステージを見つめながら待つ。そのまましばらく立っていると、突然ステージの横から倖田來未がマイクを片手に小走りで出てきた。同時に人だかりが大きくどよめく。彼女はステージの中央に立つと、マイクを構えてもう一方の手を大きく上げ

「みんなー!倖田來未がネプランドに帰ってきたでー!」

 と言った。それに答えるようにステージの前の観客も「おおおおお!」と歓声を上げる。成田も「わあすごい!本物だ本物だ!」と言っている。観客の歓声に満足したように倖田來未は満面の笑みを浮かべ

「もうネプランドってウチの故郷やねん!そんなワケで今日も盛り上がってくんでヨロシク!ネプランドFuu↑!」

 と声を張り上げる。観客の歓声は先ほどよりも大きくなり、倖田來未に続けて「Fuu!」と答える。ステージ上の本人は興奮して落ち着かないのか、しばらくステージの中央あたりをうろうろ歩いていたが、やがて観客の方を向いて立ち止まった。そして大きく息を吸い

「そろそろ時間やでー!また会おうなー!」

 と言った。一瞬、時間が止まったのかと思った。観客は今度は誰も声を上げない。間の抜けたような沈黙が辺りを包んだ。初夏の陽射しがやけにまぶしく感じる。倖田來未は相変わらず満面の笑みをこちらに向けたまま、手を振りながらゆっくりステージの横に消えていった。

43以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 20:43:18.52 ID:7K8h533b

 観客は誰も動かない。まるでそうしていれば倖田來未が再びステージに戻ってくるとみんなが信じているかのようだ。しかしいくら待っても彼女は戻ってこない。それどころかスタッフがステージの上にやってきて、マイクスタンドを片付けてしまった。観客は徐々に声を取り戻していく。「どういうこと?」「もしかして終わった?」「歌ってないじゃん」というささやきが周りから聞こえてくる。なかには観衆から抜け出して、次のアトラクションに向かう人もいる。

 「え、えーと?」戸惑った様子で成田が言った。どうやら彼女も動揺しているらしい。成田はこちらを見て「どうなってんの?」と聞いてきた。

「たぶん……終わったんじゃないか?マイクスタンド片付けちゃったし」と答えると
「やっぱりそうだよね」とつぶやいた。

「とりあえずどっか行くか」と言うと

「うん」とだけ答える。

 混乱に陥っている人だかりに背を向け、とりあえずその場から離れた。常設ステージから離れてからもしばらく歩いたが、二人とも何も言わなかった。あのゲリラライブは一体何だったのか。あまりにも衝撃的だったので言葉が出てこない。それは成田も同様らしく、黙って歩いていた。
あてもなく歩いていると、ふいに成田が

「さっきのなんだったんだろうね」と言った。それは俺もさっきから考えているが、答えは見つからない。仕方がないから

「なんだったんだろうな」と返す。「もしかしたら倖田來未って全国回ってああいうことしてんじゃないのか」と付け足すと、成田はふふっと笑って

「そんなまさか」と言った。

44以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 20:50:43.07 ID:7K8h533b

 倖田來未のゲリラライブの衝撃を引きずりながら歩いていると、成田が突然「あ!」と声を上げた。思わず成田の向いている方向に目をやると、人が3,4人は乗れそうな大きなコーヒーカップがいくつも置いてあるアトラクションがあった。コーヒーカップがどうしたのかと見ていると、成田が

「ちょっとあそこの喫茶店に寄って行こうよ」と言った。

 目線を少しずらすと、コーヒーカップから少し離れたところに建物がある。成田はその建物を見ていたらしい。あの喫茶店は俺も子供のころ何度か入ったことがある。午前中に読んでいた雑誌でも、ネプランド内のおすすめの休憩場所として紹介されていた。なんでも季節が変わるごとに新しいメニューが追加されるらしい。

「喫茶店?」と言うと

「そう。ここの新しいパンケーキがおいしいんだって」と答えた。

 時計を見ると、おやつの時間には少し遅いくらいだった。だが、そのくらいの方が店内が空いているだろうから調度いいかもしれない。

「じゃあ休憩がてら寄るか」と喫茶店に足を向ける。店内に入ると、窓際の席に案内された。

 ウェイターがやって来て水を置いて戻っていった。テーブルの上にメニューを開いてめくる。この喫茶店には軽食からちゃんとした食事までいろいろな料理がある。

「あ、これだ」デザートのページを見て成田が言った。「ネプランド特製ケーキ」という文字の下に、ホイップクリームやら果物やらが乗ったパンケーキの写真があった。

「私これにする。須藤は?」

 ざっとメニューを見たが特に食べたいと思ったものはなかった。あまり空腹を感じていない。

「俺はコーヒーでいいや」

「じゃあ決まりね」と言うと、成田はテーブルに置いてある店員を呼ぶボタンを押した。ほどなくしてウェイターがやってきて、注文を聞いてから再び厨房の方へ戻っていった。

45以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 20:57:35.57 ID:7K8h533b

 しばらく待っていると、さっき注文を聞いていったウェイターがコーヒーとパンケーキを持って来た。それぞれ運ばれたものを受けとる。成田のパンケーキは掌よりふたまわりも大きい皿に乗っていた。彼女がフォークとナイフでケーキを切り始めたのを見ながら、俺はスティックシュガーを一本コーヒーに入れた。

 それぞれ食べ物や飲み物を口に運びながら会話をしていると、話は自然と学校生活へと向かう。先生への評価や部活の話などしていると、ふと成田が話題を変えた。

「ところで前から思ってたんだけど」パンケーキを切りながら成田が言った。

「なに」

「須藤の名前ってなんていうか……変わってるよね」

 根久夫という名前は確かに他には聞かない。自分でも珍しい名前だと思う。

「そうだな。俺も昔そう思って、親父になんでこんな名前にしたのか聞いたことがある」スプーンでコーヒーをかき混ぜながら言う。

「なんて言ってたの」手を止めて成田が聞いてきた。

「なんでも『長く根気強い男であれ』っていう意味らしい」

「へえ。いい名前だね」

「まあな。でも、俺は本当はそういう意味じゃないと思ってる」何気なく手を止める。

「どういうこと?」

「ネクターってあるだろ。あの甘ったるいジュース。俺の親父あれが好きなんだよ。毎日仕事の帰りに買ってくるくらい」

「ふうん?」ぴんと来ないというように成田は息を漏らした。

46以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 21:03:34.09 ID:7K8h533b

「尋常じゃないんだよな、ネクターに対する欲求が。俺の親父さ、結構まじめで物静かなんだよ。家じゃほとんど話さなくて、俺や母さんの話に笑いながら相槌を打つだけ。そういう性格なんだ」

「そうなの」

「前にさ、親父が仕事休みだった日にネクターを買ってくるよう言われたことがあったんだよ。その日は朝からひどい天気で、とても外に出る気にならないような日だった」

 彼女はナイフとフォークを持ったまま黙って聞いている。

「俺断ったんだよ。こんな日に外なんか出たくないって。ネクターなんか一日くらい我慢しろって言ったんだ」

「うん」

「そしたらあいつ滅茶苦茶に怒ってさ。壁を殴るわ腕時計を投げつけるわで大暴れしたんだよ」

「え」思わず声が出たといった様子で成田がつぶやいた。俺は軽くうなずいて続けた。

「俺は買いに行くからって言って親父をなだめた。そしたら親父はいつも通り物静かな親父になったよ。ジュース代も500円くれてさ、お釣りは返さなくていいって。俺は親父の変わりようにびっくりしてたし、外はひどい土砂降りだったけど仕方なく買いに行ったんだ」

「そんなにネクターが好きなんだ」

「異常だろ?母さんによると昔からそうらしい。それである日思ったんだ。俺の根久夫って名前はネクターからきてるんじゃないかって」

「なるほど」成田は神妙な顔をしている。

「それで、親父に聞いてみたんだ」

「お父さん、なんて言ったの?」

47以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 21:08:15.53 ID:7K8h533b

「あのときの親父もちょっと様子がおかしかったな」コーヒーを飲みながら思い出す。「何だったかな。たしか親父は『そんなわけないだろう。正直なところ俺はあのネタがあまり好きじゃないんだ。だってネクストはXなのにネクターはCじゃないか。あれは間違ってる』とか言ってたな」

「なにそれ」成田は首を傾げた。

「わからない。その後も事あるごとに聞いてみたけど、親父の答えは一緒だった」カップをテーブルに置く。いつもは静かな父が、ネクターのことになると人が変わったように饒舌になる。息子から見ても不思議なことだった。

「須藤のお父さんって変わってるね」再びパンケーキにナイフを入れながら成田が言った。「まあ須藤もたまに変なこと言うけど」

「俺がいつ変なこと言ったんだよ」思い当たる節がないので素直に尋ねる。

「兼六園とか神様の対義語がどうとか言ってたじゃん」さらっと彼女は答える。「先週だって、いきなりネプランドに誘ってくるし」

 最後の言葉に気が動転した。「い、いやあれは……」なにか説明しなければいけないのではないかと感じ、口を動かす。しかし、俺が言葉を発する前に成田は

「まあネプランド好きだからいいけど」と言った。その言葉にどう返せばいいのかわからず、つい黙ってしまう。彼女は何もなかったかのよう食事を続けている。ネプランドに誘われたことを成田が悪く思っていないということに、今更になって安心する。ふいに訪れた沈黙を誤魔化すため、俺は再びコーヒーカップに手を伸ばした。

48以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2017/01/08(日) 21:16:25.43 ID:7K8h533b

 成田がパンケーキを食べ終わった後も、しばらくふたりで話をしていた。その会話のなかで、自然と次は喫茶店の窓から見えるコーヒーカップのアトラクションに乗ることになった。話が一段落したところで、喫茶店から出ることにした。席から立とうと椅子を動かすと、伝票を見ていた成田が声をあげた。

「あれ?」

「どうした?」席から立ちあがりながら尋ねると

「こんなにするの……」と呆けたように言って伝票をこちらに突き出した。

 見てみると、コーヒーが600円、パンケーキが1560円となっている。

「パンケーキってこんな高いのか」とつぶやくと

「たいてい1000円前後なのに」と少し不満げに口を尖らせている。

「値段見てなかったのか」

「あー、ちゃんと見てなかった」

「こういう店って少し値段高めだよな。なんというか、ご愁傷さまです」軽く頭を下げる。

「高めって言ってもさあ……」食べ終わった皿を眺めながら成田がつぶやく。ほんの少し前までそこにあったパンケーキを思い出しているのかもしれない。あのパンケーキになんのためらいもなく1560円払えるのであれば、高校生としては勝ち組に属するのかもしれないが……

「1560円ってどうなの?」

 どうなんだ?


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