聖地ベツレヘムでクリスマス中止
――ガザでの死者1万8000人越え受け――
https://imadegawa.exblog.jp/33711212/
■イエスは元々大虐殺の中で誕生
パレスチナのガザ地区ではイスラエル軍による攻撃が続き、
死者が1万8000人を超えている。
そうした中で、
イエス生誕の地とされるパレスチナのベツレヘムでは
クリスマス行事が中止と なる見通しだ〔注1〕〔注2〕。
「クリスマス中止」は「ネットのネタ」の定番だった。
だが、
こういうシャレにならない理由で中止に なるのが
「現実」であるというのが怖い。
「ネットの悪ノリ」でしかなかった
「クリスマス中止」の見出しが
大手マスコミで堂々と躍る日が来るとは思わなかった。
私も、
「クリスマス」そのものには
割と否定的な方ではあるはずなのだが……↓。
クリスマス(12/25)はイエスの誕生日ではない
https://imadegawa.exblog.jp/18285509/
ベツレヘム側とすれば、
年に一度の観光・巡礼の客を
逃すことに なるわけだから、
かなりの覚悟だ。
もっとも、
ベツレヘムが
イスラエルでなくパレスチナ領内に在ることを
このニュースで初めて知った人も居るらしい。
キャンペーンとしては有りだろう。
ただ、
そもそもイエスの誕生 そのものが
ヘロデ大王による赤子大虐殺と不可分であり、
「クリスマス」というのは
それも含めて「記念(=記憶に留める)」する役割を
果たす日だったのではとも思いはする
(イエスの誕生日か否かは別として)。
イエス一人を殺すためにヘロデ大王が
「ベツレヘムとその周辺一帯にいる
二歳以下の男の子を、一人残らず殺した」
(『新約聖書』
「マタイによる福音書」2章16節)という大虐殺が
2000年前にもパレスチナで行なわれたことを
再確認するのも また、
クリスマス行事の意義であったのではとも思うのである。
その意味で、
イエスは初めから
「『がれき』の中」で生まれたのではなかったか。
はっきり言って、
世に祝福されて生まれたのではなかったのである
(『新約聖書』「ヨハネによる福音書」1章11節)。
〔注1〕
「これがパレスチナのクリスマス」 ガザの死者1万8000人超 聖地のクリスマス中止へ│TBSニュース
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/888688?display=1
〔注2〕
聖地のクリスマス、ガザ情勢受け中止 キリスト生誕は「がれき」の中│朝日新聞
https://www.asahi.com/articles/ASRD964V4RD8UHBI046.html?ref=tw_asahi
イエスを殺すために行われたとされるヘロデ大王による赤子大虐殺は、実は、ありませんでした。
時々そのようなことは行われていたらしいですが、イエス誕生とされる年の近辺にそうした記録はありません。
またベトレヘムは小さな市であり人口も少なく、当時「二歳以下の男子」は10人ほどであっただろうと推定されています。
歴史的人物としてのイエスに関する記録は、第三者側からはその名前に言及した資料が一つ発見されており、ナザレのイエスという人物は実在したであろうと推定されています。
そのほかに、彼に関する記録はありません。
洗礼者ヨハネの弟子であったこと
終末論的な教義を宣教していただろうこと
ヨセフとマリアの息子であったこと
この3点のみほぼ確実であろうとされるのみです。
イエス死去の後、教団の一人がマリアを引き取った後マリアは完全に姿を消しており、マリアはその後の教団には関わっていません。新約聖書の原資料となるドキュメントが様々に現れたとき、マリアはいませんでした。
ヨハネは史実ではなく神学であると教会が見解を出していることからも明らかですが、すべては壮大なファンタジーです。
「乙女がみごもって」の「乙女」を「処女」と誤訳したことからマリア=神の母が始まったとも教会は既に認識しています。
クリスチャンというのは「ナザレのイエスがキリストであり神の子である」と信じる者であり、それ以上でも以下でもありません。
カトリック教会はマリアが無原罪であるとしていますが、
教義として公式に定めた2年後にルルドの泉にマリアが現れ、ベルナデッタという少女に「私は無原罪のマリアである」と自ら述べています。
ナイスタイミングとしか言い様がありません。
ベルナデッタは修道院に入り、そこでただ一度だけ自分の経験を話すことを許可されました。
なお無学で貧乏な出身とされるベルナデッタの自筆の手紙というものが残っていますが、見事な、公的機関の書記系の筆跡です。
ついでに言うと、アッシジのフランチェスコはその手のひらに聖痕を受けました。
しかし、イエスが死んだ当時の磔刑では、釘は手首に打たれます。そうしないとちぎれてとれてしまうからです。
聖骸布については、それが実際にナザレのイエスを包んだ布であるだろうという科学的歴史的証拠がたくさんあり、おそらくそうであるだろうというのは皮肉な感じもします。彼が実際に磔刑によって死んだという事実だけが - 他はすべて推測とファンタジーに過ぎないのにその事実だけが - 残されているのです。
ついでにいうと
しゅうどういんにいたなら
よみかきできるようになるのは
あたりまえ
>>7
筆跡というのは個人の独自のものであり、特徴は固定されます。
また、当時の修道院は中流子女のためのものであり、ベルナデッタのような貧困家庭の出身者は入れませんでした。
何も知らずにレスしないでください。
ローマはその新興カルト教団を迫害はしませんでした。
ローカルのコミュニティの中で労働契約問題や納税問題、住民との小さなトラブルなどを頻繁に起こすこのカルト教団について、
官僚制法治国家であるローマは地方行政においてローカルからの「何とかしてくれ」と言うつきあげをくらい、それぞれさまざまな微罪適用によって対処しています。公的資料が残されています。
ローマにとってユダヤ民族は
出自がエジプトであること
独自の歴史ある文化を持っていること
により、文化的民族とされていました。
キリスト教教団はその新興分派として認識されていたのみでした。
日本でも、当初、キリスト教は迫害されていませんでした。
おおっぴらにやらなければOKという緩いスタンスです。
でしたが、日本初のキリシタン大名が、宣教師の執拗な要請を受けてキリシタンにならない領民を追放、60以上もの寺社を焼き討ち、その際逃げた僧侶を追いかけて殺害、
宣教師の裏には明らかにポルトガルやスペインの影が見えるという事態になりキリシタンに対する対処は変わらざるを得ませんでした。
外患誘致罪です。
むげんざいのおやどりでせんせーしょなるなかたちでしゅうどうにになったしょうじょに
けんいすじがなんのきょういくもせず ほうちしていたとかんがえるのは
いささかほんのだんぺんによる がくしゅうに かたよりすぎではないのかな
ここにかかれている こうさつらしきものには
にんげんせいとしゃかせいという もっともかんじんなようそが はぶかれているね
現教皇は、「ローマがキリスト教を迫害したのは、物質的なローマが、霊的なものであるキリスト教を恐れたからである」と述べています。
傲慢笑止。
キリスト教における霊的なものはファンタジーでしかありません。
それを信じるのはそれぞれの自由です。
しかし、それが真実であると信じろとひとに強制し、信じない者を愚かといい、彼らには神様の恵みがない、
というのはそれこそ愚かです。
汝ころすなかれ。
自分が殺されるときには神の裁きの手を望み、自分が殺すときには神の裁きの手を望まない。
元々のイエスの教義は、「神の国は近い。悔い改めよ。」でした。
今まで散々いわれてきたとおり、ナザレのイエスと発展したキリスト教教団の間には、何の関係もないと言えるでしょう。