イエスを殺すために行われたとされるヘロデ大王による赤子大虐殺は、実は、ありませんでした。
時々そのようなことは行われていたらしいですが、イエス誕生とされる年の近辺にそうした記録はありません。
またベトレヘムは小さな市であり人口も少なく、当時「二歳以下の男子」は10人ほどであっただろうと推定されています。
イエスを殺すために行われたとされるヘロデ大王による赤子大虐殺は、実は、ありませんでした。
時々そのようなことは行われていたらしいですが、イエス誕生とされる年の近辺にそうした記録はありません。
またベトレヘムは小さな市であり人口も少なく、当時「二歳以下の男子」は10人ほどであっただろうと推定されています。
歴史的人物としてのイエスに関する記録は、第三者側からはその名前に言及した資料が一つ発見されており、ナザレのイエスという人物は実在したであろうと推定されています。
そのほかに、彼に関する記録はありません。
洗礼者ヨハネの弟子であったこと
終末論的な教義を宣教していただろうこと
ヨセフとマリアの息子であったこと
この3点のみほぼ確実であろうとされるのみです。
イエス死去の後、教団の一人がマリアを引き取った後マリアは完全に姿を消しており、マリアはその後の教団には関わっていません。新約聖書の原資料となるドキュメントが様々に現れたとき、マリアはいませんでした。
ヨハネは史実ではなく神学であると教会が見解を出していることからも明らかですが、すべては壮大なファンタジーです。
「乙女がみごもって」の「乙女」を「処女」と誤訳したことからマリア=神の母が始まったとも教会は既に認識しています。
クリスチャンというのは「ナザレのイエスがキリストであり神の子である」と信じる者であり、それ以上でも以下でもありません。
カトリック教会はマリアが無原罪であるとしていますが、
教義として公式に定めた2年後にルルドの泉にマリアが現れ、ベルナデッタという少女に「私は無原罪のマリアである」と自ら述べています。
ナイスタイミングとしか言い様がありません。
ベルナデッタは修道院に入り、そこでただ一度だけ自分の経験を話すことを許可されました。
なお無学で貧乏な出身とされるベルナデッタの自筆の手紙というものが残っていますが、見事な、公的機関の書記系の筆跡です。
ついでに言うと、アッシジのフランチェスコはその手のひらに聖痕を受けました。
しかし、イエスが死んだ当時の磔刑では、釘は手首に打たれます。そうしないとちぎれてとれてしまうからです。
聖骸布については、それが実際にナザレのイエスを包んだ布であるだろうという科学的歴史的証拠がたくさんあり、おそらくそうであるだろうというのは皮肉な感じもします。彼が実際に磔刑によって死んだという事実だけが - 他はすべて推測とファンタジーに過ぎないのにその事実だけが - 残されているのです。