ねっぷお坊様部 ID:jNHxmbI1

54以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2022/02/06(日) 13:21:24.51 ID:jNHxmbI1

哲学的思惟に入ってはいけないのだ
「無我」という概念はこういう道筋でこういう結論を導くためだけにあるのだ
という話が載ってるお経はたぶんこれだった

「満月」

あるとき世尊はサーヴァッティーの東園の鹿母講堂に、
大きな比丘僧伽とともにいた。そのとき世尊は布薩日十五日の、満月の夜に、
比丘僧伽に囲まれて、野外に座っていた。

55以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2022/02/06(日) 13:22:06.00 ID:jNHxmbI1

とある比丘が座を立って、片方の肩に上衣を掛けて、世尊に向けて合掌して、世尊にこう言った。
「大徳よ、私は世尊にある点について問いたい。もし世尊が私に、問いに答える機会を作ってくれるなら」
「ならば比丘よ、お前は自分の座に座って、好きなように問え」
「わかった、大徳よ」とその比丘は世尊にうなづいて、自分の座に座って、世尊にこう言った。
「大徳よ、これらが五取蘊か――色取蘊、受取蘊、想取蘊、行取蘊、識取蘊が?」

「比丘よ、それらが五取蘊である。すなわち――色取蘊…識取蘊である」
「よいぞ、大徳よ」とその比丘は世尊の話を喜んで、満足して、世尊にさらに問いを問うた。

(省略: 五取蘊についての問答が繰り返される)

56以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2022/02/06(日) 13:23:23.99 ID:jNHxmbI1

そのときとある比丘に、このような心の思いが浮かんだ。
「ああ、このとおり色は無我だ。受…想…行…識は無我だ。
無我であるものが為した業が、どうして自我に触れられようか」
すると世尊は、その比丘の心に思うことを心で知って、比丘たちに呼びかけた。

「比丘たちよ、ある馬鹿者が、わからずに、無明のまま、愛に支配された心によって、
師の教えを早とちりすることがありうる
『ああ、このとおり色は無我だ。受…想…行…識は無我だ。
無我であるものが為した業が、どうして自我に触れられようか』
比丘たちよ、私はそれぞれの事柄についてお前たちに問うて導こう。

「これをどう思うか比丘たちよ、色は恒常か、無常か?」
「無常だ、大徳よ」
「受は…想は…行は…識は恒常か、無常か?」
「無常だ、大徳よ」
「では、無常であるものは苦か、幸せか?」
「苦だ、大徳よ」
「では、無常であり、苦であり、劣化するものを、こう見ることは適切か
『これは私のものだ。私はこれだ。これが私の魂だ』と?」
「いいや、大徳よ」

57以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2022/02/06(日) 13:24:56.40 ID:jNHxmbI1

「だからして比丘たちよ、過去・未来・現在、内外、大小、貴賤、遠近の、
すべての色を『これは私のものでない。私はこれでない。これは私の魂でない』と、
このように真実のとおりに正しい知恵によって見るべきである。
過去・未来・現在、内外、大小、貴賤、遠近の、すべての受…想…行…識を
『これは私のものでない。私はこれでない。これは私の魂でない』と、
このように真実のとおりに正しい知恵によって見るべきである。

「比丘たちよ、このように見ている、教えを聞いた聖なる弟子は、色について厭離する。
受…想…行…識について厭離する。厭離する者は離貪する。離貪によって解脱する。
解脱すれば解脱したという知が生じる。彼は
『生まれ変わりはなくなった。梵行は完成した。やるべきことはやり終えた。
このような命に次はない』と知る」

サンユッタ・ニカーヤ/蘊/01.蘊/08.食い物/10.満月

58以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2022/02/06(日) 13:31:55.40 ID:jNHxmbI1

アングッタラ・ニカーヤでもアーナンダが似たような教えを説いていて
アングッタラ・ニカーヤのほうを探していたから見つからなかった


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