徳川幕府の残党は昌平坂学問所(看板だけ『東京帝国大学』に架け替え)を根城に、『資本主義ブルジョア自由主義経済を ぶっ壊し、社会主義プロレタリア暴力革命を成就せよ!』と喧伝する共産主義マルクス経済学を垂れ流し続けている。
徳川の残党は、戊辰戦争で徳川幕府を壊滅させた薩長土肥の藩閥明治政府が育成した資本主義経済による日本の近代化、また祖法に反する開国に追い込み徳川幕府を滅亡に追い込んだアメリカの資本主義ブルジョア自由主義経済を憎悪したのだ。
>社会主義計画経済においては個々の人民の“能力”に関して『党中央』が下す評価に応じて計画的に働き、個々の人民の“必要”に関して『党中央』が下す決定に応じ 財サービスの分配が行われる。
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また共産主義マルクス経済学者は、正常財を選好する消費者行動に『物神崇拝(フェティシズム)』の烙印を押して生活必需品や劣等財の生産・消費しか認めない。
生活必需品や劣等財の生産・消費しか行わない社会主義経済が数量ベースの実質経済成長を維持するためには不況を追い風にするか、Social dumpingを伴うBeggar-Thy-Neighbor(近隣窮乏化)輸出ドライブに依存するしかない。
武器を取り上げ(『刀狩り』)た上で被支配者を農地に縛り付け年貢米を取り立てた江戸時代の日本経済は、士農工商の身分制度によってブルジョア階級を最下層に位置づけたのでイノベーション、すなわち産業革命も不発だったので、高級な伝統工芸品を購入する支配階級以外は生活必需品と劣等財による粗末な日常生活を送るしかなかった。
鎖国政策を維持し、オランダや清朝との貿易も長崎など ほんの数箇所に限られたので、Social dumpingを伴うBeggar-Thy-Neighbor(近隣窮乏化)輸出ドライブに依存した数量ベースの高い実質経済成長を達成することもできず、江戸幕末の日本経済は困窮の極みであった。
経済が困窮の極みであったから、連れて徳川日本の国防力も非常に御粗末で、1853年のペリー来航の際は黒船の空砲に幕府の役人達が腰を抜かし、何の抵抗もできぬ侭 不平等条約を受け容れるより他に選択肢が無かった。
戦国時代末期には無敵艦隊を擁したスペイン海軍さえ寄せ付けなかった日本は、江戸幕末になると蒸気船が轟かせた空砲に腰を抜かす程 弱体化したのである。
ところが徳川の残党は、口角泡を飛ばしながら、関ヶ原の戦いから260年の長きに亘り天下泰平を維持したのは徳川幕府最大の功績と自画自賛して見せる。
刀狩りによってブルジョア革命の芽を摘み、また士農工商の身分制度によってブルジョア階級を最下層に押し込め、イノベーションすなわち技術革新、産業革命が不発だったため、江戸時代の日本の軍事力は衰退の一途を辿った。
アフリカや東南アジアを征服した西洋列強の黒船が日本近海に姿を見せ始めた19世紀初頭には、阿片戦争で無様な大敗を喫した清朝と全く同様、徳川幕府の鎖国日本の国防力は、いつ西洋列強に侵略され植民地化されても不思議ではない劣悪な状況に陥っていたのである。
たまたま西洋列強の矛先が日本より先に清朝を突いただけのことであった。
徳川の残党が自画自賛する天下泰平を貪り、泰平の眠りに落ちていた日本は、産業革命を経た西洋列強に対して実に丸腰同然だったのだ。
旧社会党が『非武装中立』を唱えたことがあった。
泰平の眠りに落ちていた徳川日本は丁度そんな状態であったのだ。
幾ら自国が高尚な平和主義を掲げ『非武装中立』を唱えたところで、相手国が軍事大国であれば座して植民地化されるのを待つしかないのである。
要するに260年の徳川
2 :260年に及ぶ他力本願の天下泰平を自らの手柄に擦り替える徳川の残党(:2024/04/29(月) 17:45:48.79 ID:xwZTbqpW
幾ら自国が高尚な平和主義を掲げ『非武装中立』を唱えたところで、相手国が軍事大国であれば座して植民地化されるのを待つしかないのである。
要するに260年の徳川日本の天下泰平というのは、徳川幕府の有能さによって齎された平和ではなく、『飽くまでも西洋列強が日本に手を出さない限りにおいて』という“他力本願の天下泰平”だったのだ。
これを『関ヶ原の戦いから260年の長きに亘り天下泰平を維持したのは徳川幕府最大の功績』と自画自賛するのは、実に抱腹絶倒の間抜けな糠喜びと言うしかないであろう。
3 :支那人に付け込まれた徳川の残党の防衛機制:2024/05/20(月) 12:44:32.85 ID:AwlnvNme『支那人に付け込まれた支那かぶれバカ田大学卒、岸田文雄の防衛機制』
〓人種差別に敏感な民主党の地盤であるニューヨークの公立小学校で、隣の子と手を繋ぐ授業で白人の少女に手繋ぎを拒否されたと言い続けた岸田文雄。
〓面白みがなく、のろまだから活発な性格の白人の少女にウザがられただけだろう。
〓アメリカやフランス、イタリアを何度も旅行しているが、人種差別など経験したことは一度も無い。
〓金髪・碧眼のアーリア人至上主義で有色人種を見下したナチ党の狂人ヒットラーは、ハンス・ギュンターの『日本人アーリア人説』を全面的に受け容れて、日・独が完全に対等の立場で軍事同盟を結んだ。
*ハンス・ギュンターの『北方人種』によれば、日本人もアーリア人であり、遥かなる太古においてはドイツ人と日本人は同族だったという。
〓徳川の残党や『徳川ゾンビ』の奥羽越列藩同盟の残党(東条英機 等)と同じように、日本の関税自主権を認めず治外法権を謳った安政五箇国条約を徳川幕府に結ばせたアメリカ人やフランス人を人種差別主義者と決め付け、日本人をドイツ人と同族のアーリア人と認定した狂人ヒットラーのナチス・ドイツこそ日本の真の友だと岸田文雄は思い込んでいるのか?
〓『人権抑圧』を批判されると『人種差別』に問題を擦り替えて黒人やアジア系アメリカ人に近づく支那人。
〓支那人に唆される侭、失恋を人種差別と曲解した岸田文雄。
〓支那人に唆される侭、失恋を人種差別と曲解した岸田文雄は、広島への原爆投下も人種差別と曲解している可能性が大きい。
〓手繋ぎを拒否した白人の少女や、授業中に隣の子と手を繋ぐよう指示した先生に それが人種差別行為であったか否かを岸田文雄は確かめたのか?
〓そもそも白人の少女と手を繋ぐよう岸田文雄に指示したニューヨークの公立小学校の先生は人種差別主義者ではなかった筈だし、握手を拒否した白人の少女が人種差別主義者だったなら その先生から注意された筈。
〓要するに岸田文雄の事案は、防衛機制(『合理化<Rationalization>』、イソップ寓話の『酸っぱい葡萄』<Sour Grapes>)、本人の思い込み、曲解、被害妄想、歪んだ自己正当化心理メカニズムの結果であったことは間違いない。
〓支那かぶれバカ田大学卒、岸田文雄の防衛機制が支那人に付け込まれただけの話なのだ。
〓その程度の論理的思考も出来ずに60過ぎまで のほほんと生きてるような奴だから 高がポンコツ東大ごときに3回も落ちたのだろう。
〓支那人に唆されて岸田文雄や徳川の残党と同じような歪んだ考えを抱き続けてる日本人は猛省した方が良い。
4 :大和民族であることをアピールして歩け!:2024/11/30(土) 09:10:10.56 ID:GCpZc2B1『加藤ローサがフランスで露骨な差別を体験「結構なカルチャー・ショックでした」車に貼られた侮辱的なメモ』
2024/11/30(土) 7:32配信 双葉社 THE CHANGE
https://news.yahoo.co.jp/articles/d3ec47d78cadac05328452ff306bc9a0d115a374
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〓イタリア人の血が入ってる混血なのに『黄色い猿は森へ帰れ!』と言われるとは余程 支那人か朝鮮人ぽく見えたんだな(笑)
〓西洋人がアジア人を未開の地から来た外国人と見下すのは法の支配や自由主義ブルジョア憲法を受け容れない中国共産党や朝鮮労働党のせい。
〓法の支配や自由主義ブルジョア憲法を受け容れない支那人や朝鮮人との無用のトラブルを避けるため、法の支配や自由主義ブルジョア憲法を受け容れない未開の後進地域から来た危険人物を敬遠するのは当たり前のことで、それを差別とは言わない。
〓あと狂人ヒットラーのナチ党と同盟を結んだ根っからの無法者である石原莞爾や東条英機のような東北の蝦夷(えみし)が日本人の悪イメージを西洋人に植え付けたことも原因。
〓ダッシュボードの外から見える場所に聖書とロザリオか、日の丸デザインのグッズを乗せて置け。
〓法の支配や自由主義ブルジョア憲法を受け容れない支那人や朝鮮人と間違えられぬよう明らかに日本人と分かる日の丸か富士山デザインの上着でも羽織って歩け。
〓根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)と誤解されぬよう、トート・バッグに聖書とロザリオを入れて何処へでも持ち歩き、事ある毎に それ(大和民族であること)をアピールしろ。
5 :東北を速やかに日米共同統治の自治領に移行すべきだ:2025/02/25(火) 23:56:36.34 ID:2wlh9mpT〓西暦817年~821年の三一権実争論において『五性各別』を根本教義とする法相宗の徳一国師が、東北の蝦夷(えみし)を『無性』(根っからの無法者)と断じ、征夷大将軍 坂上田村麻呂 以降 大和民族(歴代の征夷大将軍)による本格的な蝦夷(えみし)討伐を正当化した。
〓だが16世紀末に徳川家康に取り入った東北の蝦夷(えみし)で天台宗の悪坊主である南光坊天海が徳川家康 以降の征夷大将軍を丸め込むことに“成功”し、徳川幕府の征夷大将軍による蝦夷(えみし)討伐が全く行われなかった。
〓そればかりか“資本主義による日本近代化”を断行しようと明治維新に踏み切った薩長土肥の大和民族新政府に対して、(北海道を植民地化する計画を温めていた)ドイツの武器商人シュネルから最新兵器を手に入れた東北の蝦夷(えみし)は、松平容保や酒井玄蕃など徳川の残党を押し立てて反乱を起こした(戊辰戦争)。
〓新興ブルジョアを潰して財産を没収する目的で旧ソ連共産党の独裁者スターリンが『第1次五カ年計画』を断行(1928年~1932年)。
〓新興ブルジョアを潰して財産を没収するスターリンの『第1次五カ年計画』を猿真似して『国策デフレ』を強行した井上準之助や団琢磨 等 一部の政党政治家や江戸時代を懐かしむ三井財閥の財界人によって昭和恐慌が発生。
〓すると“資本主義による日本の近代化”という明治維新の理念を覆そうと企む井上準之助や団琢磨 等 一部の政党政治家や江戸時代を懐かしむ財界人の『国策デフレ』に反発した青年将校 等が『昭和維新』をスローガンに二・二六事件(軍事クーデター)を引き起こした(1936年)。
〓だが“もう一度 資本主義による日本近代化という明治維新の理念に立ち返ろう”と訴えた大和民族の若手将校による『昭和維新』クーデターは失敗。
〓アジア大陸では、根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし) 石原莞爾が暴走して独断で満洲事変を引き起こし、憲兵隊を率いる東条英機が これを援護した。
〓石原莞爾が引き起こした満洲事変を援護するのに憲兵隊が極めて効果的だったことに味を占めた東条英機は、二・二六事件が鎮圧されると、その機に乗じて(1) 戊辰戦争 以来 軍部を牛耳ってきた大和民族(薩長土肥 藩閥)の一掃と(2) 青年将校による軍事クーデターの再発防止という大義名分を掲げて指揮下の憲兵隊を総動員した。
〓こうして憲兵隊の指揮命令権を握り『統制派(日本版ファシスト党)』を率いた東条英機が戦前日本で政権を掌握。
〓日独防共協定は元々 反共政治協定に過ぎなかったが、東条英機の主導で反米・極右軍事同盟に大転換。
〓根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)たる東条英機の『統制派』は、 あれよあれよという間に狂人ヒットラーのナチ党と反米・極右軍事同盟を結ぶと無謀な太平洋戦争に突き進んで行った。
6 :東北を速やかに日米共同統治の自治領に移行すべきだ:2025/02/26(水) 00:00:43.10 ID:EkNOA2/F〓21世紀の日本で未だに東北の蝦夷(えみし)が流布する“悪しき東北史観”が蔓延している:
・曰く「日本人は単一民族だ」
・曰く「徳川家康公は無能な室町将軍が放置した戦国時代を終わらせ260年間の天下泰平を築いたヒーローだ」
・曰く「『東北の蝦夷(えみし)を率いて(大和民族の支持を集めた)持明院統と戦った北畠顕家の大覚寺統(南朝)が正統な皇統』と記した水戸黄門の『大日本史』こそ永久に受け継がれるべき正しい皇国史観だ」
・曰く「東北の蝦夷(えみし)を率いて(大和民族の支持を集めた)持明院統と戦った『神皇正統記』の著者 北畠親房の嫡男である北畠顕家の大覚寺統(南朝)こそ正統な皇統だ」
〓藤原摂関家の帰依する法相宗の徳一国師は、西暦817年~821年の『三一権実争論』において東北の蝦夷(えみし)を根っからの無法者(『無性』)と断じた。
〓にも拘わらず(大和民族の支持を集めた)持明院統との戦いに大覚寺統(南朝)の北畠顕家が東北の蝦夷(えみし)を動員した主な理由は、大和民族の多くの武士団が持明院統に付いてしまったためである。
〓大覚寺統(南朝)は護良親王(大塔宮)を征夷大将軍に、北畠顕家を鎮守府大将軍に任命するなど、藤原摂関家(近衛経忠)の助言に従い東北の蝦夷(えみし)を根っからの無法者と敵視していた。
〓その点では大覚寺統(南朝)も持明院統と何ら変わらなかった。
〓根っからの無法者(『無性』)と藤原摂関家の帰依する法相宗が敵視していた東北の蝦夷(えみし)を動員しなければならなくなった時点で、『鎮守府大将軍』、『征夷大将軍』としてのミッション(職務)を完全に放棄しており、北畠顕家は単なる賊軍、反乱軍に成り下がっていたというべきである。
〓ところが藤原摂関家を出し抜いて大覚寺統(南朝)を牛耳った北畠親房や北畠顕家は村上源氏なので三一権実争論における徳一国師の法相宗に無頓着であった。
〓その点は東北の蝦夷(えみし)が多く帰依する天台宗の坊主に丸め込まれた戊辰戦争時の旧徳川幕府軍も全く同様である。
7 :東北を速やかに日米共同統治の自治領に移行すべきだ:2025/02/26(水) 00:05:56.85 ID:EkNOA2/F〓従って東北の蝦夷(えみし)が源義経を担いで源頼朝の平家追討に積極的に加勢したのとは状況が まるで異なるのである。
〓後三年の役(1083年~1087年)で勝者となったものの朝廷から私闘と看做された藤原清衡は、源八幡太郎義家の後ろ盾によって辛うじて奥州の覇者の地位を維持することができた。
〓根っからの無法者(『無性』)と藤原摂関家の帰依する法相宗が敵視する東北の蝦夷(えみし)が、こともあろうに“藤原氏”を名乗って奥州の覇者の地位に立つことを正真正銘の藤原摂関家が認めなかったのは当然と言えば当然だった。
〓要するに奥州の覇者たる藤原清衡の地位は朝廷(藤原摂関家)から公認されたものではなく、専ら『清和源氏の家来』として築かれた。
〓このような経緯から、源平合戦に際し、藤原秀衡は主君である清和源氏に加勢したと考えられる。
〓もっとも坂上田村麻呂以前から大和民族に対する反抗を繰り返す東北の蝦夷(えみし)の素行を熟知していた(法相宗に帰依する)藤原摂関家の助言により、勇猛ではあるが根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)を戦目付の梶原景時が厳しく監視していた。
〓だが困ったことに源義経が壇ノ浦で平家を壊滅させると、すっかり舞い上がって東北の蝦夷(えみし)を買い被った後白河法皇が源頼朝への征夷大将軍宣下を渋り、東北の蝦夷(えみし)を率いる源義経を重用しようとしたので、(法相宗に帰依する)藤原摂関家の後援を得た源頼朝が蝦夷(えみし)を討伐した(1189年)。
〓東北の蝦夷(えみし)の支配を蝦夷(『俘囚の上頭』)である(“藤原氏”を仮冒する)秀衡に任せることならば渋々ではあるが黙認もするが、大和民族の象徴である天皇の後ろ盾となる軍隊の主力を、法相宗の徳一国師によって根っからの無法者(『無性』)と断じられた東北の蝦夷(えみし)に委ねることは断じて認められないという藤原摂関家の判断が背景にあった。
〓源平合戦の時と異なり、鎮守府大将軍たる北畠顕家に東北の蝦夷(えみし)が付き従ったのは専ら大和民族に対する略奪や暴行を北畠顕家によって黙認されていたからだと推察される。
〓以下の『太平記』の記述が そのことを裏付けている。
>《元来無慚無愧の夷共なれば、路次の民屋を追捕し、神社仏閣を焼払ふ。総此勢の打過ける跡、塵を払て海道二三里が間には、在家の一宇も残らず草木の一本も無りけり。》
出典:『太平記19巻 追奥勢跡道々合戦事』
〓二・二六事件の後、憲兵隊(『統制派』)を率いて軍部を掌握した東北の蝦夷(えみし)である東条英機を、藤原摂関家の近衛文麿が陸軍大臣として入閣させ、東条英機の希望通り、狂人ヒットラーのナチ党と反米・極右軍事同盟を結んでしまった。
〓藤原摂関家の帰依する法相宗の徳一国師が伝えた「東北の蝦夷(えみし)は根っからの無法者(『無性』)」という渾身の“家訓”を軽んじた近衛文麿は東条英機によって破滅させられた。
8 :東北を速やかに日米共同統治の自治領に移行すべきだ:2025/02/26(水) 00:09:00.34 ID:EkNOA2/F〓呆れたことに、日本の公式の皇統譜も未だに“悪しき東北史観”に汚染されており、歴代天皇の代数から、現皇室の直系尊属であり大和民族の支持を集めた持明院統の、所謂『北朝5代』が外された侭 放置されている。
〓徳一国師と最澄の『三一権実争論』(西暦817年~821年)から1,200年が経ち、徳一国師が指摘した『無性』(根っからの無法者)という東北の蝦夷(えみし)の本性は真実であることが明らかとなった。
〓この間 天台宗の坊主が必死に説法を行ったが、東北の蝦夷(えみし)供には全く効き目が無かった。
〓今後の東北政策:3つの選択肢。
1.東北の分離・独立:
根っからの無法者である蝦夷(えみし)の住する東北を大和民族の日本から完全に切り離し、再び東北の蝦夷(えみし)が日本の国政を壟断する事態を予防する。
2.東北において大和民族の“軍政”を施行:
嘗ての征夷大将軍による軍政を手本に、(説法によって善導することが困難な)東北の蝦夷(えみし)を大和民族の自衛隊による“軍政”下に置く。
3.米自治領プエルトリコの統治機構を手本に日米共同統治の自治領に移行:
【You】
米本土からプエルトリコに旅行、移住する際に、出入国や通関手続が必要か?
プエルトリコの住民は米本土と全く同じ米国籍を有しているのか?
プエルトリコの住民は米国議会に議員を送り込んでいるか?
プエルトリコの住民は米大統領選の選挙権を有しているか?
プエルトリコの代表は首相か総督か知事か?
プエルトリコの企業は米本土との取引で通関手続が必要か?
9 :東北を速やかに日米共同統治の自治領に移行すべきだ:2025/02/26(水) 00:11:59.56 ID:EkNOA2/F>【ChatGPT】
>1. 米本土からプエルトリコへの旅行・移住の出入国や通関手続
>米本土とプエルトリコの間の移動は国内旅行とみなされるため、出入国審査は不要。
>ただし、プエルトリコは**関税特別地域(customs territory)**の扱いを受けるため、通関手続きは必要になる場合がある(特に商業物品の持ち込み・持ち出し)。
>2. プエルトリコの住民の国籍
>プエルトリコ住民は米国市民権を有している(1917年の「ジョーンズ法」により付与)。
>ただし、プエルトリコは**合衆国の未編入領域(unincorporated territory)**であるため、州とは異なる扱いを受ける。
>3. プエルトリコの米国議会への代表
>プエルトリコは**米下院に「住民代表(Resident Commissioner)」**を1名送っている。
>ただし、この代表には本会議での投票権がない(委員会での発言・投票権はある)。
>上院には代表を送る権利がない(州ではないため)。
>4. 米大統領選の選挙権
>プエルトリコ住民は米大統領選の投票権を持たない(州の選挙人団に含まれないため)。
>ただし、米本土に移住すれば大統領選で投票できる(同じ米国市民であるため)。
>5. プエルトリコの代表の呼称
>プエルトリコの最高行政官は**「知事(Governor)」**である。
>首相や総督ではない(ただし、スペイン統治時代には総督(Gobernador)と呼ばれた)。
>6. プエルトリコ企業の米本土との取引の通関手続
>プエルトリコは関税特別地域のため、米本土との間での通関手続きが必要。
>ただし、米国内扱いのため、輸入関税は発生しない(一定の規制や申告手続きはあり)。
〓法の支配や自由主義ブルジョア憲法との整合性を図る観点からは、根っからの無法者である蝦夷(えみし)の住する東北を、プエルトリコを手本に日米共同統治の自治領に移行することが最善の選択肢であるように思われる。
10 :21世紀に入っても『悪しき東北史観』が抜けない東北の蝦夷:2025/02/27(木) 14:04:59.74 ID:6hw79+k4『21世紀に入っても「悪しき東北史観」が抜けない根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)』
◐《渡部昇一》
・渡部 昇一(わたなべ しょういち、1930年〈昭和5年〉10月15日 - 2017年〈平成29年〉4月17日[1])は、日本の英語学者、哲学者。歴史論・政治・教育・社会評論家。上智大学名誉教授。
・生誕
1930年10月15日
日本・山形県鶴岡市
・アパ・グループが主催した第1回「真の近現代史観」懸賞論文の審査委員長を務めた。2008年10月31日(金)に最優秀藤誠志賞に航空自衛隊幕僚長・田母神俊雄の論文「日本は侵略国家であったのか」を選考[96] した。論文内容は「侵略国家ではなかった」とし、支那事変(日中戦争)の原因を蔣介石に巻き込まれた濡れ衣であると主張するなど、渡部の近現代史論に近いものであった。その後、この論文は田母神が「政府見解と異なる主張をしたうえ、上層部の許可を得ずに外部に論文を提出した」などとして防衛大臣の浜田靖一に即日更迭処分を受ける一因[97] となった。
・「ヒトラーやムッソリーニ、二・二六事件の青年将校らは共産主義者である」と主張している[15][16]。
・太平洋戦争に関するダグラス・マッカーサーの連邦議会証言について、小堀桂一郎などと共に「日本は自衛戦争をした、と述べた」と主張している[20]。
・戦後の“反日的左翼”の起源を、公職追放など占領政策によって利益を得た「敗戦利得者」および「コリア系」の出自を持つ人々に求め、彼らが東京大学、京都大学などの主要大学、朝日新聞などにポストを占めることで戦後の教育界、言論界は歪められたとしている[21]。
・満洲にアメリカを関わらせなかったことは失敗であったとして、現在の対支外交にもアメリカを関わらせるべきであるとしている[22]。
・著書『運命を高めて生きる 新渡戸稲造の名著『修養』に学ぶ』致知出版社 2003年
・『日本史の真髄 頼山陽の『日本楽府』を読む』 各・全3巻、PHP研究所 1990年-1994年、同・文庫「甦る日本史」
・『かくて昭和史は甦る 人種差別の世界を叩き潰した日本』クレスト社 1995年。改題「渡部昇一の昭和史」ワック ほか
・『反日に勝つ「昭和史の常識」』ワック、2006年、改題「続・渡部昇一の昭和史」同
・『中国・韓国に二度と謝らないための近現代史―「敗戦利得者史観」を排す!』徳間書店 2007年
・『「東京裁判」を裁判する』致知出版社 2007年
・『日本史から見た日本人 アイデンティティーの日本史』産業能率短期大学出版部(正・続)1973-1977年
・『神話からの贈物』文藝春秋 1976年。「日本神話からの贈り物」PHP文庫、「古事記と日本人」祥伝社、「古事記の読み方」ワック
・『日本そして日本人 世界に比類なき「ドン百姓発想」の知恵』祥伝社ノン・ブック 1980年、新版・ノン・ポシェット
(以上、Wikipedia)
〓“資本主義による日本近代化”を断行しようと明治維新に踏み切った薩長土肥の大和民族新政府に対して、(北海道を植民地化する計画を温めていた)ドイツの武器商人シュネルから最新兵器を手に入れた東北の蝦夷(えみし)は、松平容保や酒井玄蕃など徳川の残党を押し立てて反乱を起こした(戊辰戦争)東北の蝦夷(えみし)。
〓アジア大陸で、根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし) 石原莞爾が暴走して独断で満洲事変を引き起こし、憲兵隊を率いる東条英機が これを援護した。
〓常設国際司法裁判所長であった安達峰一郎は、本来であれば石原莞爾や東条英機の行動はケロッグ・ブリアン協定違反だから厳罰
11 :21世紀に入っても『悪しき東北史観』が抜けない東北の蝦夷:2025/02/27(木) 14:07:47.35 ID:6hw79+k4〓常設国際司法裁判所長であった安達峰一郎は、本来であれば石原莞爾や東条英機の行動はケロッグ・ブリアン協定違反だから厳罰に処すべきだと内閣総理大臣に助言すべきであったが、石原や東条と同じ東北の蝦夷(えみし)であった安達峰一郎は、「常設国際司法裁判所に提訴される前に、日本政府と国民党政府の間で二国間で解決すべし」と内閣総理大臣に助言した。
〓東北の蝦夷(えみし)であった安達峰一郎の助言は、(1) 同じ東北の蝦夷(えみし)である石原莞爾の完全な暴走・独断であった満洲事変を(大和民族の)日本政府に責任転嫁する内容であると共に、(2) 石原莞爾や東条英機に対する処罰には全く触れていない、など極めて悪質だった。
12 :21世紀に入っても『悪しき東北史観』が抜けない東北の蝦夷:2025/02/27(木) 14:11:16.87 ID:6hw79+k4〓石原莞爾が引き起こした満洲事変を援護するのに憲兵隊が極めて効果的だったことに味を占めた東条英機は、二・二六事件が鎮圧されると、その機に乗じて(1) 戊辰戦争 以来 軍部を牛耳ってきた大和民族(薩長土肥 藩閥)の一掃と(2) 青年将校による軍事クーデターの再発防止という大義名分を掲げて指揮下の憲兵隊を総動員した。
〓こうして憲兵隊の指揮命令権を握り『統制派(日本版ファシスト党)』を率いた東条英機が戦前日本で政権を掌握。
〓日独防共協定は元々 反共政治協定に過ぎなかったが、東条英機の主導で反米・極右軍事同盟に大転換。
〓根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)たる東条英機の『統制派』は、 あれよあれよという間に狂人ヒットラーのナチ党と反米・極右軍事同盟を結ぶと無謀な太平洋戦争に突き進んで行った。
〓石原莞爾や東条英機、安達峰一郎と同様、東北の蝦夷(えみし)である渡部昇一(カトリック上智大学名誉教授)。
〓渡部昇一は、2008年にアパ・グループが主催した第1回『真の近現代史観』懸賞論文の審査委員長を務め、「支那事変(日中戦争)の原因を蔣介石に巻き込まれた濡れ衣である」と主張した東北の蝦夷(えみし)である田母神論文を最優秀藤誠志賞に選定した。
〓また東北の蝦夷(えみし)である渡部昇一は、『かくて昭和史は甦る 人種差別の世界を叩き潰した日本』、『反日に勝つ「昭和史の常識」』
、『中国・韓国に二度と謝らないための近現代史―「敗戦利得者史観」を排す!』、『「東京裁判」を裁判する』など、同じ東北の蝦夷(えみし)である石原莞爾や東条英機の暴走を正当化する著作が多い。
〓特に『人種差別の世界を叩き潰した日本』という歴史認識は、異民族を見下すアーリア人至上主義(ノルディック・イデオロギー)を掲げ、ユダヤ人大虐殺を行った狂人ヒットラーのナチ党と同盟を結んだ東条英機の行動と完全に矛盾している。
〓更に『日本神話からの贈り物』や『古事記の読み方』などの著作は、“悪しき東北史観”の支柱の一つである『日本人単一民族説』を暗黙の前提にしている。
〓日本神話の聖地が東北に一つもないことから明らかなように、『古事記』や『日本書紀』は関東以西に住する大和民族の成立神話である。
〓これらの著作を通じて、根っからの無法者である東北の蝦夷(えみし)の一人 渡部昇一が必死になって「大和民族」を仮冒しているに過ぎない。
〓古代より藤原摂関家が統率する大和朝廷、すなわち大和民族の歴史観は、藤原摂関家が帰依する『五性各別』、すなわち法相宗をスタンダードとしており、東北の蝦夷(えみし)については古代から近代まで『服(まつろ)わぬ民』という位置づけが固定している。
〓最後に掲げた『日本そして日本人 世界に比類なき「ドン百姓発想」の知恵』という著作は、大和朝廷の戸籍に登録され律令制に服して口分田を耕した大和民族を完全に侮辱する“悪しき東北史観”が滲み出た東北の蝦夷(えみし)の本音を渡部昇一が書き殴ったエッセーであろう。
13 :21世紀に入っても『悪しき東北史観』が抜けない東北の蝦夷:2025/02/27(木) 14:18:23.37 ID:6hw79+k4◐《田母神俊雄》
・田母神 俊雄(たもがみ としお、1948年〈昭和23年〉7月22日 - )は、日本の航空自衛官、軍事評論家[1][2]、政治活動家。第38代航空総隊司令官、第29代航空幕僚長。最終階級は航空幕僚長(空軍大将相当)。予備役ブルーリボンの会顧問、「日本をまもる会・大東亜聖戦大碑護持会」会長[3]。
(Wikipedia)
・田母神論文の骨子:
>> 日本は19世紀の後半以降、朝鮮半島や支那大陸に軍を進めることになるが、相手国の了承を得ないで一方的に軍を進めたことはない。蔣介石の国民党の間でも合意を得ずして軍を進めたことはない。(満洲事変や支那事変を含め)常に支那側の承認の下に軍を進めていた。
>> ルーズベルトは戦争をしないという公約で米国大統領になった為、日米開戦のために見かけのうえで第一撃をさせる必要があった。ルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行した。
>> 東京裁判は戦争責任を全て日本に押し付けようとしたものである。そしてそのマインド・コントロールは、戦後63年を経てもなお日本人を惑わせている。そのマインド・コントロールのために、自衛隊は領域の警備も出来ず、集団的自衛権も行使も出来ない。武器使用も極めて制約が多く、攻撃的兵器の保有も禁止されている。諸外国の軍と比べれば自衛隊は雁字搦め(がんじからめ)で身動きできない。
>> パリ講和会議に於いて、日本が人種差別撤廃を条約に書込むことを主張した際、イギリスや米国から一笑に付された。日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのが、あと100年ないし200年遅れていたかもしれない。
>> 多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識しておく必要がある。
〓渡部昇一と同様、21世紀に入っても同じ東北の蝦夷(えみし)である石原莞爾や東条英機の暴走を正当化する主張を元航空幕僚長の田母神俊雄も繰り返している。