>ジャニーズ解体のその後……ほかにスタッフ2人がタレントに性的加害
2024/3/28(木) 10:21配信 BBC News(モビーン・アザー)
https://news.yahoo.co.jp/articles/5ffbab7637aa75ced3126eb4260b88c4c67f243c
>当事者の会代表の平本淳也は、イギリスBBCのインタビューに対して『被害には遭っていない』と明言しており、また長らく“性加害”を伏せた侭、ジャニーズ事務所お受験ビジネスを手がけ、実弟を含む多くの若者をジャニーズ事務所に送り込んだと自慢して来た男。
https://www.youtube.com/watch?v=zaTV5D3kvqE
https://dailynewsonline.jp/article/1338136/?page=5
>副代表の石丸志門も、SNSでジャニーズ事務所を絶賛し、YouTubeで『(“性加害”の現場とされた)合宿所は上の人との良き交流の場であり、合宿所が無くなって今の子は可哀想』などと明言しており、更には当事者の会の活動目的について『金目当て』と断言した。
https://youtu.be/7CP8jvgnUO4?si=2RBEiX3oU2VcdJd8
https://news.yahoo.co.jp/articles/19524fecf22392ae8a4282d2882b6c8c4855fe76
>『JSAVA』
https://raisingvoicesjapan.com/
>「ジャニーズ性加害問題当事者の会」は、メンバーの主がジャニーズ事務所に所属した経験を持ち、またジャニー喜多川による性被害を被り、その事件を告白・告発したメンバーで立ち上げた有志の任意団体です。元ジャニーズジュニアの二人が発起人となり2023年6月26日(月)に創設。ジャニーズ性加害問題の「被害者による被害者のため」の組織として発足し、これまでメディア等で告白・告発してきた勇気あるメンバーらで構成しています。
〓そもそも当事者の会は、明らかな詐欺集団である。
〓“首吊り自殺”したとされる この男も二本樹顕理も その一味だった。
〓当事者の会の一員だった筈なのに、『当事者の会』の仲間の話が遺書の中に一つも出て来ないのが不思議。
〓2023年10月4日(水)に当事者の会に嫌気が差して志賀泰伸が脱退。
〓2023年10月7日(土)までに当事者の会 副代表の石丸志門が、当事者の会の活動目的は『金目当て』だと明言。
〓2023年11月の新聞報道では「捜査関係者らによると、男は大阪市在住。2023年10月中旬、同府箕面市の山中で首をつっているのが見つかり、その後死亡が確認された。近くには遺書のようなメモがあった。」ということだったが、2024年2月のTBS報道特集インタビューでは「職場には、妻と子どもに宛てた手紙が残されていた」に変化(極めて不可解)。
〓それが今回2024年3月のイギリスBBC番組では「この男は妻にテキストを送った。自分は山に来たのだと。そしてこの人は、そこで自分の命を絶った」と来た(笑)
〓1992年5月に小泉純一郎が女芸者を絞殺したと強く疑われている事案でも、警察は走り書きの遺書が見つかったことから『首吊り自殺』として処理した。
https://hikari369.hateblo.jp/entry/2021/03/01/022257
http://www.asyura2.com/0505/war71/msg/1213.html
〓絞殺を“首吊り自殺”に見せ掛けるため、この時は本人の物かどうか判別不可能にすべく遺書は“走り書き”だったと指摘されている。
〓2023年11月の新聞報道の「近くには遺書のようなメモがあった。」から、2024年2月のTBS報道特集インタビューの「職場には、妻と子どもに宛てた手紙が残されていた」へ、更に今回2024年3月のBBC番組では、とうとう遺書はテキスト文書で妻に送られたという話になった。
〓テキスト文書となれば本人の物かどうか益々 分からない
〓テキスト文書となれば本人の物かどうか益々 分からないから、遺書の信憑性には小泉純一郎の事案よりも更に大きな疑問符が付く。
〓ましてやBBC番組で証言している二本樹顕理も、大阪府の山中で“首吊り自殺”したとされる男も、明らかな詐欺集団である当事者の会の一味である。
〓イギリスBBCの報道は究極のフェイク・ニュースだ。
〓Wikipediaによればサイクス・ピコ秘密協定(1916年)の内容は以下の通り。
>シャーム(ダマスカスを含むシリアの主要地域)、アナトリア南部、イラクのモースル地区をフランスの勢力範囲とする。
>シリア南部(現在のヨルダン)と南メソポタミア(現在のイラクの大半)をイギリスの勢力範囲とする。
>黒海東南沿岸、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡両岸地域をロシア帝国の勢力範囲とする。
〓この協定は、イギリスが中東におけるアラブ国家の独立を約束したマクマホン書簡(フサイン・マクマホン協定)とイギリスが相矛盾する二枚舌外交を展開したとして批判された。
>1917年にロシア革命が起こると、同年11月にウラジーミル・レーニン政権によって旧ロシア帝国のサイクス・ピコ協定の秘密外交が明らかにされ、アラブの反発を強めることになった。
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>フサインの子ファイサル率いるアラブ軍は、1918年9月にシリアのダマスカス入城を果たしたが、この地を自国の勢力範囲と考えるフランスの反対を受け、1920年7月にダマスカスから追放された。
〓マクマホン書簡ではアラブ独立国家の範囲は、ホムス、ハマー、アレッポ、ダマスカスを結ぶ線の東側(内陸側)ということになっていたのでフサインの子ファイサル率いるアラブ軍は、1918年9月にシリアのダマスカス入城を果たしたが、前年(1916年)のサイクス・ピコ秘密協定により この地を自国の勢力範囲と考えるフランスの反対を受け、1920年7月にダマスカスから追放された。
〓更にバルフォア宣言(1917年)においてパレスチナにユダヤ人国家「national home」(ナショナル・ホーム、民族郷土)の建設を認めると明記されたが、前年(1916年)のサイクス・ピコ秘密協定ではパレスチナが仏・英共同統治領と位置づけられていることから、イギリスが単独でパレスチナにユダヤ人国家「national home」(ナショナル・ホーム、民族的郷土)の建設を認めることは不可能であり、これは明らかな空手形であった。
〓これに関してイギリス寄りの専門家は、バルフォア宣言に言う「national home」というのは飽くまでもユダヤ人の居住地という意味であって、排他的な統治権を具有するユダヤ人国家の建設を認めた訳ではないと解釈できると反論する。
〓イギリス人が法的に矛盾している文書を作成して無用のトラブルを第三国に持ち込むのは今回に始まったことではない。
〓そもそもバルフォア宣言(1917年)本文について、『「national home」というのは飽くまでもユダヤ人の居住地という意味であって、排他的な統治権を具有するユダヤ人国家の建設を認めた訳ではないと解釈できる』とするイギリス寄りの専門家による反論には相当な無理がある。
〓何となればバルフォア宣言(1917年)本文には、パレスチナの地にユダヤ人の「national home」と並存する形で非ユダヤ人(アラブ人)の「national home」の建設を認めるとは一言も書かれていないからだ。
〓パレスチナに住む非ユダヤ人(アラブ人)については、パレスチナの地を「national home」とするユダヤ人が非ユダヤ人(アラブ人)の市民権、宗教的権利を侵害してはいけないとしかバルフォア宣言には書かれていない
〓テキスト文書となれば本人の物かどうか益々 分からないから、遺書の信憑性には小泉純一郎の事案よりも更に大きな疑問符が付く。
〓ましてやBBC番組で証言している二本樹顕理も、大阪府の山中で“首吊り自殺”したとされる男も、明らかな詐欺集団である当事者の会の一味である。
〓イギリスBBCの報道は究極のフェイク・ニュースだ。
〓Wikipediaによればサイクス・ピコ秘密協定(1916年)の内容は以下の通り。
>シャーム(ダマスカスを含むシリアの主要地域)、アナトリア南部、イラクのモースル地区をフランスの勢力範囲とする。
>シリア南部(現在のヨルダン)と南メソポタミア(現在のイラクの大半)をイギリスの勢力範囲とする。
>黒海東南沿岸、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡両岸地域をロシア帝国の勢力範囲とする。
〓この協定は、イギリスが中東におけるアラブ国家の独立を約束したマクマホン書簡(フサイン・マクマホン協定)とイギリスが相矛盾する二枚舌外交を展開したとして批判された。
>1917年にロシア革命が起こると、同年11月にウラジーミル・レーニン政権によって旧ロシア帝国のサイクス・ピコ協定の秘密外交が明らかにされ、アラブの反発を強めることになった。
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>フサインの子ファイサル率いるアラブ軍は、1918年9月にシリアのダマスカス入城を果たしたが、この地を自国の勢力範囲と考えるフランスの反対を受け、1920年7月にダマスカスから追放された。
〓マクマホン書簡ではアラブ独立国家の範囲は、ホムス、ハマー、アレッポ、ダマスカスを結ぶ線の東側(内陸側)ということになっていたのでフサインの子ファイサル率いるアラブ軍は、1918年9月にシリアのダマスカス入城を果たしたが、前年(1916年)のサイクス・ピコ秘密協定により この地を自国の勢力範囲と考えるフランスの反対を受け、1920年7月にダマスカスから追放された。
〓更にバルフォア宣言(1917年)においてパレスチナにユダヤ人国家「national home」(ナショナル・ホーム、民族郷土)の建設を認めると明記されたが、前年(1916年)のサイクス・ピコ秘密協定ではパレスチナが仏・英共同統治領と位置づけられていることから、イギリスが単独でパレスチナにユダヤ人国家「national home」(ナショナル・ホーム、民族的郷土)の建設を認めることは不可能であり、これは明らかな空手形であった。
〓これに関してイギリス寄りの専門家は、バルフォア宣言に言う「national home」というのは飽くまでもユダヤ人の居住地という意味であって、排他的な統治権を具有するユダヤ人国家の建設を認めた訳ではないと解釈できると反論する。
〓イギリス人が法的に矛盾している文書を作成して無用のトラブルを第三国に持ち込むのは今回に始まったことではない。
〓そもそもバルフォア宣言(1917年)本文について、『「national home」というのは飽くまでもユダヤ人の居住地という意味であって、排他的な統治権を具有するユダヤ人国家の建設を認めた訳ではないと解釈できる』とするイギリス寄りの専門家による反論には相当な無理がある。
〓何となればバルフォア宣言(1917年)本文には、パレスチナの地にユダヤ人の「national home」と並存する形で非ユダヤ人(アラブ人)の「national home」の建設を認めるとは一言も書かれていないからだ。
〓パレスチナに住む非ユダヤ人(アラブ人)については、パレスチナの地を「national home」とするユダヤ人が非ユダヤ人(アラブ人)の市民権、宗教的権利を侵害してはいけないとしかバルフォア宣言には書かれていない
〓サイクス・ピコ秘密協定(1916年)によれば、パレスチナは仏・英共同統治領で国際管理地とされた訳だから、パレスチナの地にユダヤ人の「national home」建設を認めるというバルフォア宣言はサイクス・ピコ協定と矛盾している。
〓そればかりではない。
〓1917年にイギリス政府がユダヤ人に対しパレスチナの地に「national home」の建設を認めると宣言した その僅か3年後の1920年には国際連盟からパレスチナの統治を委任される形でイギリス政府はパレスチナを自国の委任統治領にしてしまったのである。
〓バルフォア宣言(1917年)によってシオニズム運動に火が点いたため、今日のパレスチナ紛争が持ち上がる主な原因となった。
〓要するにイギリス人の言うことを真に受けると馬鹿を見るということだ。
〓1978年に鄧小平が改革開放政策を開始した。
〓すなわち、巨大な支那の市場を開放し、積極的に外資を導入すると宣言したので、目の前に自国製品の販路拡大と有望な投資先という餌をぶら下げられた西側諸国が、我先に中国共産党に取り入ろうと目の色を変えた。
〓こうなると腹黒いイギリス人は真っ先に本性を現す。
〓香港住民の市民権や自決権を無視して住民投票を1度たりとも実施せずに、香港住民の頭越しに中国共産党が実効支配する支那への香港返還をマーガレット・サッチャーのイギリス政府が一方的に宣言したのである(1984年)。
〓文化大革命の嵐が吹き荒れる中、チベット仏教などに対する凄まじい人権弾圧を繰り返していた中国共産党の実効支配する支那への返還を望む香港住民など皆無に等しかった。
〓香港返還前に住民投票が行われていたならば、香港住民の多くはイギリス領に留まるか、都市国家として独立するか、中華民国(台湾)への返還を望んでいた筈だと指摘されている。
〓マーガレット・サッチャーのイギリス政府が香港返還を宣言した(1984年)頃は、都市部の大学生の多くが農村部に下放され、また過酷な強制労働と飢餓、拷問などにより2,000万人が命を落とした文化大革命(1966年~1976年)が終わって間もなかった。
〓中国共産党は2020年6月に香港国家安全維持法を制定し、共産党一党独裁体制を批判する国家政権転覆罪や、共産党一党独裁体制を批判するデモを厳しく取り締まるテロ活動罪などを新設した他、共産党一党独裁体制を批判する書籍を扱う書店の店主を拘束したり、共産党一党独裁体制に批判的な民主派が香港の立法議会に立候補できないよう選挙法を変えてしまいました。『最低2047年まで一国二制度を維持する』という国際公約も中国共産党は反古にした。
〓支那人に阿片を売り付け、拒否されると阿片戦争を引き起こして香港を分捕ったイギリス(1842年、南京条約)が、今度は目の前に自国製品の販路拡大と有望な投資先という餌をぶら下げて来た鄧小平の言葉に目が眩み、香港住民の自由意思を無視して無法国家の支那に一も二もなく香港返還を申し出たのである。
〓バルフォア宣言(1917年)ではユダヤ人の前で優等生ぶったイギリス人が、パレスチナにユダヤ人の「national home」建設を認める代わりにパレスチナの非ユダヤ人(アラブ人)の市民権や宗教的権利を侵害するな、などと上から目線で要求していたが、香港では それと正反対に住民の市民権や自決権を完全に無視。
〓香港住民の意向を一度も確かめず、文化大革命で2,000万人の命を奪った無法国家である支那に香港を返還して見せたのである。
〓イギリス人の無節操、御都合主義には開いた口が塞がらない。
〓パレスチナに住む非ユダヤ人(アラブ人)については、パレスチナの地を「national home」とするユダヤ人が非ユダヤ人(アラブ人)の市民権、宗教的権利を侵害してはいけないとしかバルフォア宣言には書かれていないのである。
〓従ってバルフォア宣言の本文は、『パレスチナを、排他的な統治権を具有するユダヤ人の独立国家の領土としてイギリス政府が認める。その代わり領土内(パレスチナ)に居住する非ユダヤ人の市民権、宗教的権利をユダヤ人の独立国家は侵害するな』と解釈できる訳だ。
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