〓テキスト文書となれば本人の物かどうか益々 分からないから、遺書の信憑性には小泉純一郎の事案よりも更に大きな疑問符が付く。
〓ましてやBBC番組で証言している二本樹顕理も、大阪府の山中で“首吊り自殺”したとされる男も、明らかな詐欺集団である当事者の会の一味である。
〓イギリスBBCの報道は究極のフェイク・ニュースだ。
〓Wikipediaによればサイクス・ピコ秘密協定(1916年)の内容は以下の通り。
>シャーム(ダマスカスを含むシリアの主要地域)、アナトリア南部、イラクのモースル地区をフランスの勢力範囲とする。
>シリア南部(現在のヨルダン)と南メソポタミア(現在のイラクの大半)をイギリスの勢力範囲とする。
>黒海東南沿岸、ボスポラス海峡、ダーダネルス海峡両岸地域をロシア帝国の勢力範囲とする。
〓この協定は、イギリスが中東におけるアラブ国家の独立を約束したマクマホン書簡(フサイン・マクマホン協定)とイギリスが相矛盾する二枚舌外交を展開したとして批判された。
>1917年にロシア革命が起こると、同年11月にウラジーミル・レーニン政権によって旧ロシア帝国のサイクス・ピコ協定の秘密外交が明らかにされ、アラブの反発を強めることになった。
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>フサインの子ファイサル率いるアラブ軍は、1918年9月にシリアのダマスカス入城を果たしたが、この地を自国の勢力範囲と考えるフランスの反対を受け、1920年7月にダマスカスから追放された。
〓マクマホン書簡ではアラブ独立国家の範囲は、ホムス、ハマー、アレッポ、ダマスカスを結ぶ線の東側(内陸側)ということになっていたのでフサインの子ファイサル率いるアラブ軍は、1918年9月にシリアのダマスカス入城を果たしたが、前年(1916年)のサイクス・ピコ秘密協定により この地を自国の勢力範囲と考えるフランスの反対を受け、1920年7月にダマスカスから追放された。
〓更にバルフォア宣言(1917年)においてパレスチナにユダヤ人国家「national home」(ナショナル・ホーム、民族郷土)の建設を認めると明記されたが、前年(1916年)のサイクス・ピコ秘密協定ではパレスチナが仏・英共同統治領と位置づけられていることから、イギリスが単独でパレスチナにユダヤ人国家「national home」(ナショナル・ホーム、民族的郷土)の建設を認めることは不可能であり、これは明らかな空手形であった。
〓これに関してイギリス寄りの専門家は、バルフォア宣言に言う「national home」というのは飽くまでもユダヤ人の居住地という意味であって、排他的な統治権を具有するユダヤ人国家の建設を認めた訳ではないと解釈できると反論する。
〓イギリス人が法的に矛盾している文書を作成して無用のトラブルを第三国に持ち込むのは今回に始まったことではない。
〓そもそもバルフォア宣言(1917年)本文について、『「national home」というのは飽くまでもユダヤ人の居住地という意味であって、排他的な統治権を具有するユダヤ人国家の建設を認めた訳ではないと解釈できる』とするイギリス寄りの専門家による反論には相当な無理がある。
〓何となればバルフォア宣言(1917年)本文には、パレスチナの地にユダヤ人の「national home」と並存する形で非ユダヤ人(アラブ人)の「national home」の建設を認めるとは一言も書かれていないからだ。
〓パレスチナに住む非ユダヤ人(アラブ人)については、パレスチナの地を「national home」とするユダヤ人が非ユダヤ人(アラブ人)の市民権、宗教的権利を侵害してはいけないとしかバルフォア宣言には書かれていない