〓サイクス・ピコ秘密協定(1916年)によれば、パレスチナは仏・英共同統治領で国際管理地とされた訳だから、パレスチナの地にユダヤ人の「national home」建設を認めるというバルフォア宣言はサイクス・ピコ協定と矛盾している。
〓そればかりではない。
〓1917年にイギリス政府がユダヤ人に対しパレスチナの地に「national home」の建設を認めると宣言した その僅か3年後の1920年には国際連盟からパレスチナの統治を委任される形でイギリス政府はパレスチナを自国の委任統治領にしてしまったのである。
〓バルフォア宣言(1917年)によってシオニズム運動に火が点いたため、今日のパレスチナ紛争が持ち上がる主な原因となった。
〓要するにイギリス人の言うことを真に受けると馬鹿を見るということだ。
〓1978年に鄧小平が改革開放政策を開始した。
〓すなわち、巨大な支那の市場を開放し、積極的に外資を導入すると宣言したので、目の前に自国製品の販路拡大と有望な投資先という餌をぶら下げられた西側諸国が、我先に中国共産党に取り入ろうと目の色を変えた。
〓こうなると腹黒いイギリス人は真っ先に本性を現す。
〓香港住民の市民権や自決権を無視して住民投票を1度たりとも実施せずに、香港住民の頭越しに中国共産党が実効支配する支那への香港返還をマーガレット・サッチャーのイギリス政府が一方的に宣言したのである(1984年)。