> 知恵のない人々(783) < >2022-R.4-10.2-NO.2796<
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* 悪人たちの国家(478) *
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「国葬」は行われ、そして、終わった。「追悼の言葉」が独り歩きしているようで、
軍国主義者たちに取っては「名言」のようで、評価が高いようだが、平和国家の
国民に取っては、「友人」の言葉であり、それ以下でも以上でもない、その場しのぎの
言葉であり、殺された事情が分かっている以上、「友人の言葉」ではあるが「国葬」
である以上、殺された理由を述べるべきではないか。
「国葬」の「追悼の言葉」として、国民には死んだ理由を述べるのが礼儀であり、
友人だろうが、現首相だろうが、死人に口なしで、「国葬」の代表として、故人が
どのような事情で死んだのかを明快に説明することが「国葬」を行う国には主権者
である国民に説明すべきだった。
「国葬」には莫大な税金が使われ、その税金は政治家の金でもなく、首相の金でも
ない、況して、友人の金でもない。税金は主権者である国民の金であり、その税金を
使うのであれば、どのような人にどのような理由で使うと言うことを説明し、国民の
許可及び了解が必要ではないか。
「国葬」になった政治家の死んだ理由は、殆どの国民が知っている訳で、その
事実を知りながら、「友人の追悼の言葉」も「現首相の言葉」も、「白々しい」にも
ほどがある。全てが嘘のような、あんな死に方して、「そこまで言うか」と思うような
言葉ばばかりで、国民としては恥ずかしくて聞いて居られないというのが本音だ。
「国葬」にはなったが、振り返って見れば、「いかれた奴」としか思えない。嘘は吐くし、
税金は無駄に使うし、挙句の果てには他国の問題だらけの宗教を「票田」に使い、
宗教によって、苦しめられている国民には何の支援をしないで、宗教に有利な
対応を取り続けた政治家としての印象ばかりで、「友人」「現首相」の言葉は「あー
そうですか」程度であり、もうテレビで聞きたくもない。