日本の知恵(2) #401

401名無しさん@Next2ch:2022/10/02(日) 22:59:27.37 ID:KRzIMCYP

 日本の平和を願う国民としては、軍事力の強化を「憲法改正」で行おうとした政治家
を決して評価はしない。勿論、支持もしない。「国葬」なんて「糞くらえ」と思う訳だ。

 人は死ぬし、戦争では多くの人々が死ぬ。「憲法改正」は国民の死を前提にし、
国民が死ぬことで、国を守る軍国主義への憲法改正であり、平和国家の国民として
は決して許される政治家ではない。

 しかし、「国葬」になった政治家は軍国主義者だから死んだわけではない。人の
苦しみ、家族の怒り、親族の憤り、子供の自殺、政治家を殺した殺人者には政治家を
殺す理由があったということだ。主権者としての政治家である奉仕者への怒り。

 人の意識には軍国主義も平和主義も関係なく、何となく殺さなければならないと
思ったのではないだろうか。多分、人の意識は人それぞれで、その人の生きざま、
人格、生活環境、教育程度、身体的な要素、あらゆる理由が走馬灯のように
善と悪、殺すべか殺さないべきか、頭の中は真っ白になり、決断をするときは
殺すべきと思った程度の理由ではないか。

 殺された政治家に取っては、そのような理由がある宗教に関わったことが、大失敗
であり、それが殺される理由であり、多くの政治家がこの宗教に関わったことが
判明したが、殺された政治家が一番目立った政治家であり、更には平和国家を
願う国民に取っては、何となく、「そうなんだ」と納得できる事実であり、悲劇では
あるが、人の「運命」の儚さと「そんな運命」もあるんだなという思いが交差する
複雑な心境でもある。

 「敵基地攻撃能力」という殺人戦略と政治家の死は非常に身近であり、人の死を
戦略とした政治家が死んでしまったという事実は何となく何かの因縁を感じる。

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