ほとんど、テレビや報道では話題ら成らないが奉仕者が「国葬」になることに
対する疑問を議論すべきではないのか。
奉仕者が「国葬」はおかしいだろう。なのにほとんど議論されないのはおかしい
ということだ。テレビでは政治家の奉仕者と言う言葉は死語なのかもしれない。
首相であろうと大臣であろうと政治家は公務員であり、公務員ならば国民の奉仕、
補遺者である以上、勤務年数が最長であっても奉仕者としての仕事をすれば
言い訳で、勤続何十年という奉仕者は数えきれないほどいる訳で、勤務年数が
ながければいいって訳ではない。
政治家であれ、企業人であれ、大企業の社長であれ、勤続年数はそれほど
問題ではなく、「国葬」ともなれば、国家に対して、どのような貢献をしたか、
どれほど、国家の役に立ったかが重要であり、国民の奉仕者が「国葬」で
葬られるのなら、勤続年数が最長程度では「国葬」とは成らない。首相を何年
しても、それが国に貢献したとは言えない。なぜなら、首相は誰でもいい訳で、
「国葬」になるのなら、首相のときを問わず、殺された政治家が国家に対して、
国民に対して、どれほどの貢献をしたか、そして、その貢献に国民がどれほど
感謝したかではないか。
「国葬」ではない「国葬」と思うほかないのか。知恵も知識も無い首相が決定した
「国葬」は何十億円という税金を無駄にする。貧しい人々、貧しい国々への支援金を
無駄にする「国葬」は民主主義への反逆であり、平和国家の恥ではないのか。