福島で除染作業を外国人実習生にさせた3社を処分 法務省 #6

6番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2019/02/05(火) 07:57:48.67 ID:xtUoVj+l

>>5 続き

「仕事は簡単。だれでもできる」
 カインさんが初めて日本に来たのは、2015年9月。高校を卒業してまもなく、「稼げると思ったし、日本に関心があった」と、技能実習生に手を挙げた。

 盛岡市の建設会社で働きながら「建設機械・土木」の技術を学ぶという触れ込みだった。実習生の受け入れ窓口である監理団体の代表からは「仕事は簡単。だれでもできる」と説明されていた。

 カインさんがまず連れて行かれたのは、福島県郡山市。そこで5カ月間、住宅地の土壌をはぎ取ったり、側溝を洗ったりした。まさか、福島第一原発事故の後始末である除染作業を自分がやらされているとは夢にも思わずに。

 その後、岩手県釜石市で住宅解体の作業をし、16年9月に再び福島県に入った。避難指示区域だった同県川俣町で、国直轄の建物解体工事に従事した。

 スコップで落ち葉などを集めながら、心が騒いだ。住民の姿が見えない町。マスクをつけないと近づけない仕事場――。

 「特別手当」を渡されたとき、カインさんはさすがに怖くなって現場の監督者に聞いた。

 「親方、これは何ですか?」

 「危険手当だ」

 「どんな危険があるんですか?」

 「嫌なら帰れ」

 何かおかしいと思いながらも働き続けた。日本に行くため、「送り出し機関」と呼ばれる現地の人材派遣会社に160万円払っていた。100万円超は銀行から借りた。ベトナムでは平均年収の数年分に相当する借金を返さなければならなかった。日本での手取りは月約12万円。ほかの会社に移ろうにも、実習生は自由に勤務先を変えることを禁止されている。

 17年に入ると、福島県飯舘村や山形県東根市、仙台市と転々とし、3月にまた川俣町で約2カ月間、建物解体作業をした。

 その直後、知りあったジャーナリストから「除染は危ない」と説明され、放射能のリスクに身震いした。11月、会社の寮を飛び出し、技能実習生の支援者が運営する郡山市の保護施設に身を寄せた。

 保護施設は2階建ての民家。同じように実習先から逃げてきたベトナム人男女12人と共同生活した。昼間は寝て、夜はテレビでサッカー観戦。そんな日がたつごとに焦りは募った。技能実習生の期間は最長3年(当時)。保護施設に来たとき、残された滞在期間は1年を切っていた。
(続く)

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