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国民投票には、かなり曖昧な点が付いて回る。第一の疑問は、チプラス政権が1週間以内に国民投票を行うだけの管理能力と
財源を持ち合わせているのかどうか、という点だ。
第二に、国民投票は本物というより、非現実的な民主主義の実践のように見えることだ。結局、ギリシャは債権団と拘束力のある
合意に至ることはできなかった。このことは次のような疑問を投げかける。ギリシャ国民は何を問うために投票するのか。ギリシャ政府が
受け入れなかった債権団の最終案の是非か。それとも、緊縮策そのものの是非か。
第三に、国民投票が実施され、ギリシャ経済もまだ持ちこたえているなら、次に何が起きるのか。反緊縮派が勝利するなら、ギリシャ
のユーロ離脱にとどめを刺すことになる。逆に、ユーロ残留派が勝つなら、チプラス政権に対する信任投票が行われることになる。
必然的に、新たな選挙の実施と、その間に国の重要問題にあたる暫定政府が設置されるだろう。
しかしチプラス氏はそのようには捉えず、首相の座から降りることを拒否するかもしれない。考えられる同氏の反論は、民意が国民投票
で明らかとなった以上、自身の首相としての責任はブリュッセルに戻り、欧州各国の首脳と最終案の交渉をするというものだ。
要するに、国民投票は緊縮策を問うものであり、チプラス政権に対する信任を問うものではないということだ。しかしながら、国民投票
の実施は、憲法の危機が続いて起きる可能性も意味している。
国民投票はまた、チプラス首相に面目を保ちながら辞任する機会を提供する。たとえ敗北に終わったとしても、民主主義の擁護者
として、一般市民の保護者として、支持者たちから称賛されるだろう。熱心な支持者はチプラス氏のことを、国家の威厳と誇りと主権
のために果敢に闘った愛国者として美化するだろう。同氏はSYRIZAの党首であり続け、SYRIZAも傷を負うことはないだろう。
国民投票を行わなければ、SYRIZAは内部崩壊する恐れがある。したがって、チプラス首相の長期的な戦略ビジョンでは、国民投票
の敗北はあくまで戦術的な敗北となる。そして野党党首として、チプラス氏は時間をかけて党を見直し、自身と党を主流の中道左派
として生まれ変わらせることができる。
たとえ7月5日に負けても、チプラス氏はいつの日かまた闘うことができるよう生き延びるだろう。その一方で、ギリシャは生き残るために
奮闘し、奈落の底に落ちるリスクに直面する。他の欧州諸国も引きずり込む可能性を秘めながら。