>>2
行為中、理性を働かせず本能に全面を委ねることは可能だらうか?
>>4
論理より感情が優先されるということだらうか?
知性派であっても時として感情の方を優先するケースは考えられないだろうか?
>>5
業者と判断してしまった理由はなんだらうか?
>>7
つまり自己演出に失敗していると言いたいのかな?
虚飾的でない馬鹿は、知能は低いが正直者として彼らよりも敬意の対象に値するだらうか?
>>9
ひろゆき、君はネットの情報にこそ価値がある、つまりそう言いたいんだね?
しかし、翻ってネット民は知性があると言えるだろうか?
玉石混交から自らに必要な情報を選択することと、テレビのチャンネルをひねることの間に違いは生じるのだろうか?
>>10-11
君は哲学的な視点を持っているね
そこで私は反知性主義者の弁護に回りたい
なぜ自分が正しいという考えを捨てなければならないのだ、と。
肯定と否定の手続き、つまり弁証法的な思考過程によって
自分の見方や考え方が変わることを恐れるのは当然ではないか?
>>12
反知性主義者は論理よりも感情を重視する傾向があると言いたいのだね?
例えば将棋が強くなりたい、そう考える人がいたとする
実際に対局しなければ強くなれないよね、そこで負けて悔しいという感情が芽生える
将棋の本を読んでいるだけでは強くなれない、これにはどう反論する?
>>13
自分が知らないことの幸福、知ることの不幸という個人的な幸せを
より重視する傾向があるということだろうか?
共同体の単位レベルが自分の周辺に限定されるという意味ではマイルドヤンキー説と矛盾しない
>>14
意見の高低をつけないのは平等主義と捉えて良いのかな?
それとも論理的妥当性を考慮しないということだらうか?
知性や富の偏在は構造的に格差と差別を生むことを彼らはだうして知り得たのだらう?
>>16
日本社会がより均質な方向へ向かっているという指摘だらうか?
そして今やネットでさえ反知性派がマジョリティである、と
ネットで意見が違うというだけで時として人格否定にまで至る
その原理はどう醸成されていったのだろう…その解明が反知性主義を読み解く鍵になりそうだ
例えば、反知性というならば教育の問題に矛先を向けるべきで、本来人に向けるべき性質のものではないよね?