>>407
極端な事例であるとは思うが、次のような例では何か思い当たることはありますか。
神懸かりの霊能力者の一例として、白高大神という霊狐とそのオダイである
中井シゲノ(1993年=平成三年没)を取り上げてみる。
シゲノが患者の患部に手をかざして息を吹きかける動作をくり返したり、
舌でなめずりまわして治癒させる。こうやって白高大神が病気を食べるのだとか。
この白高大神は中井シゲノによると自身の守護神という表現になっている。
シゲノは白高のオダイ(近畿地方の神懸かりの巫者の呼称)であるという。
このような事例が事実であるとき(たぶん事実だよ)、神懸かった霊能力者とは、
そもそもが突然に神懸かるわけで、ある意味でお役目を与えられたともいえるが、
守護神の身勝手な選択のせいともいえる。ちょうどいいからオダイにするということ。
ちなみに福島市から伊達郡を流れる阿武隈川にはキツネがいる。川で遭遇したことがある。
私に気づいたキツネが振り返り、私と目があった。どうも野良猫やハクビシンを捕食しているらしい。
んまぁ、キツネつながりでひとつ余談を。
私の住む土地周辺で稲荷神社が山の中腹にあったりする。
稲荷神は食べ物の神様という位置づけもあり、農業の神様でもある。
それが田んぼや畑とは程遠い山の中腹に鎮座していることに違和感あり。
「稲荷=いなに」と読めば、このときの「に」とは「にう」の「に」ではないか。
「にう=丹生」とは「丹砂=硫化水銀」のことだ。
何を言いたいかというと、水銀がキーワードってことね。
つーことで、山の中腹にある稲荷神社は鉱物資源と関係するのだと思う。
福島県の北部には日本三大銀山のひとつである半田銀山があるのだ。
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