睡眠薬効くまで振り返ってみるか
睡眠薬効くまで振り返ってみるか
産まれる時、俺は逆子で実際の予定より早めに生まれたらしい
帝王切開で心肺停止から復帰したからか望んで生まれてきたってよく言われた
早生まれになるけどもし予定通り遅く生まれてたら変わっただろうか
保育園の時はずっと寝ていてご飯を食べるのが遅かったらしい
特にお腹も空いてないし美味しくなかったからって記憶は微かにある
料理してくれてるお兄さん(?)が怖かった記憶もある
この時期に寝すぎたツケが今回ってる気がする
保育園のとき、ませた子から「結婚」の話題が出てみんなで話したことがある。
「>>1と結婚する!」ってその時言ってくれた子がいた。
男だけど
あと幼馴染にハーフがいる。
台湾人だけど
物心ついていない赤ちゃんの時の記憶が残るのは写真をみて定期的に思い出すことができるからだと思う
だから一番古い記憶が写真には残ってる
お姉ちゃんから投げられたボール(硬い)をはいはいしかできなかった自分がキャッチできるはずもなく、ボールが左目の上に当たって怒っていた時の記憶
その時の感覚は、何て言われたのかわからないけど突然ボールをぶつけられて理不尽だ
という怒りと
なんで笑って写真撮ってるんだ痛いから介抱してくれ
って言う親への怒りだったと思う
本当純粋な感情だけが出てたんだと思う
産まれる前の記憶に関しては断言できないオカルトなところだけど
白い雲みたいなところがあって、そこに子供がたくさんいる
家族を決めるとき、誰かよくわからない人(顔が見えないけど大人みたいな白いの)に呼ばれて
雲みたいなモヤの鏡に両親の顔が写ってるのを見せられる
それが笑顔だったような記憶もある
俺の前にお姉ちゃんが、そのお姉ちゃんは高校生ぐらいで事故か何かで亡くなったらしく人生はこの家庭からやり直すらしいことを伝えてくれた
鏡を見るとき列に並んでみんな(家族になる人)と見てたんだけど、鏡の前には滑り台があって、そこから滑って現世に行くと言う感じだった
俺の前にいたお姉ちゃんは先に行くねと伝えて先に行った
何となく俺もついていった記憶がある
両親が笑顔だったからここなら良いかもねって話してたような気もする
で、俺の後ろによくわからないのがいた
見てないからだと思うけど多分弟だったと思う
これに関しては本当ふわふわで実感のない夢みたいな話だけどあるんじゃないかなとも思う
生まれて間もない時の刷り込みかもしれないけど
保育園から小学校の頃は可もなく不可もなく平凡ないい家庭だと思ってた
5歳になった時、小学生にはなりたくないな、中学生はもっともっと色んな悩みがあるんだろうなって考えてて遠いけどいつかなっちゃうんだな嫌だな
と考えてたきがする
それも過ぎてしまったが
小学一年生のとき
「ふ」が書けなくて大泣きした記憶がある
算数は5歳でも何も教えられなくてもできたのに、ひらがなもお母さんに教えてもらいながら練習したと思うのに
どうしてもどうしても「ふ」が書けなかった気がする
これは可愛い二次元絵を模写してみようと思っても、全くうまくいかない何からすればいいのかどこに筆を持っていけばいいのかわからない感覚に似てると思う
ただ、違うのは絵は描けなくても困るのは可愛い絵が描けないな程度なのに、この「ふ」はこれが書けないと本当に何もできないぐらいに強い意味合いがあった気がする
言語を構成する一つの言葉として絶対に重要だったのかもしれないけど
未だに「ふ」は綺麗にかけてる気はしない
小学一年生の時の友達とたまたま公園であった時、その友達の従兄弟の弟(?)って紹介された子が保育園の時の友達で運命を感じたことがある
男同士だけど
その時の小学一年生の友達のキョトンとした顔が忘れられないな
不良っぽい子だったけど、面倒見が良くて俺のことも良くしてくれて本当に嬉しかった
一年の最後頃で転校しちゃったけどね
昔っから考え事ばかりしてたんだろうな
前世でそんなことばかりして疲れ切ってたのか寝てたんだろう
今も考える時間が欲しいのに足りない四年前に戻して欲しいぐらいだ
二年生になると反抗期が始まる
これが唯一色んな人に反抗した反抗期の全盛期かもしれない
字に対する思いれは以前より少なく、それどころか字を素早く書く「チャラ字」と当時は読んでた書き方をしていた
小学一年生の頃は放課後遊ぼうと友達もいなく、宿題も面倒で適当にやっていた(算数の計算問題はなぜか8+8とか7+7などだけは全問正解していた)だから居残りすることが多かった
面倒見のよい先生だったから学校が楽しかったんだと思うけど
未だになんで友達がいるのか不思議だった
>>10
車のラスボス感
本当はじめに出てくるのに7画
5画以上でてくる漢字だよ
まさにニビジムって感じだね
当時は本当みんなで厳かな感じで解いた記憶がある
眠れん眠れん
二年生はさっきも書いたようにグレてた
自暴自棄なのか自分なんていなくてもいいだろうとか言っちゃったりしてた
それをおばあちゃんに言っちゃって
あとあと知ったんだけどおばあちゃんは母以外みんな流産しちゃって、逆子でギリギリ生まれてきた俺が初めて家族の中で見た無事な男の子だったらしい
それでおばあちゃんが涙目になってた記憶がある
これが反省したい
それでも学校は楽しかった
先生の名前がヤゴオリって言うんだけど、オニゴーリとか言ってた記憶があるクソガキだ
そのヤゴオリ先生に対しても後悔がある
悔いてばかりだな
三年生に上がるためにリコーダを渡されるんだけど、そのリコーダを礼も言わずにひったくっちゃったことだ
先生は先生なりに俺を正そうと手を掴んで叱ろうとしてくれたんだと思うのにそれを振り払ってしまった
多分その時先生の顔は見なかった。
九九のテストをマスターした時、本の紹介で雑学の本を選んだ俺の読書感想文を評価してくれた先生への最後がこれだ
素直にありがとうごさいましたと言いたい
2年の時は一年の担任の先生が3年2組の担任をしていた(当時の3年1組はやがて三年になる頃の担任)
だから放課後終わったら一年からの友達と一緒に先生に会いに行ってた
そんな先生も移転する時が来る
送別会みたいなのが新学年でやると思うんだけど、俺は風邪で休んでしまった。
寝てばっかりの子だったと言って想像つくかも知れないけど、病弱だから一度かかったら常に布団から動けなくなるような奴だった。
その送別会で先生は寂しそうな顔をしていたと当時三年生の姉から聞いた時には泣いた
なんとかその先生に手紙を出すことができ、文通もした
ただいつまで続いたかはわからない
でも後悔の念は拭い去った
二年生の夏にジェイミーと言うオーストラリアの友達ができた
オーストラリア人の血の気は荒いのかすぐ椅子をぶん投げてしまう
俺はよくそれを止めていた
今ならよく分かるけど、日本語わからないし不安だったのかなって
サッカーをするとルールは曖昧だけど一緒だし、本当楽しく遊べたと思う
三年生になった時もジェイミーと同じクラスだった
ジェイミーはパソコンがうまかった
俺も二年生からパソコンで余計なことするのが好きでパソコンはうまかった方だ
ただ英語マスターには負ける
すごく俺もパソコンに興味を持った
ジェイミーには敵わなかったけど
眠気がきたそろそろねれるかまた書くか
そういやこの年だっけ紙粘土で光るオブジェ作ったり魔除けのお面作ったの
喪失感虚無感が半端じゃなくて最近死にたいから殺してくれって心の叫びが変わったけど、口に出すと言霊がなんとかで命なくなるから言えない
特に三時の風呂で思い出すからああああああ
特に僕は怪しくないですちょっと調子が悪い
クドリャフカってなんだっけ
考えたほうが落ち着く
けど考えて落ち着く時が昔だったからそれが恋しくなってる
なんか変な名前の指揮者いたよななんだっけなんだっけ
やつは死んだ
記憶から消えたやつは俺の中では死んでいる
アレクサンダーシュナイダーって誰だ
ちがう
こいつだなんで忘れてたんだハチャトゥリアン
聞く曲はジムノペディ、サティの曲なんだけどねへへへ
寝ろよ