あと最近思うのは法と如についてかなあ
法(dhamma)は自然法則のこと
例えば悪人が地獄に生まれ変わるのはそれが自然法則だからであって
決して創造神や閻魔の意志のせいではない
悪人が地獄に落ちるのは石が水に沈むようなもんだと仏は言う
如(tathaa)は事実のこと
法と如とどっちが大事か?法則と事実とどっちが大事か?
学問的に価値があるのは法則のほうだが
観測事実が法則にあわないときは
法則だと思っていたもののほうが思い込みに過ぎなかったのだと
反省するのが科学精神だ(なおこれは俺の主張であってそんなことの書かれたお経はたぶんない)
法に固執して「こうあるべきだ」と怒ったところで
如はどうにもならない
そういうときは法だと思い込んでいるもののほうを変えよう
それは法でないことが如によって反証されてしまったのだから