「右に行くか」
耳を抜ける小鳥のさえずりと額を照らす木漏れ日が、若菜によって削られた心の負傷を癒してくれる
山にある、肌になじむようなこの空気感はどこから来るのだろうか。無味乾燥な町の空気よりもどこか湿っぽい
「ここらで休憩するか」
一人だと自分のペースだからか山の中腹の休憩所まで大した疲れもなく来ることが出来た
俺は大きな岩に腰かけた。後ろに倒した身体を支えるように両手を岩に押し付けて空を見る
太陽はちょうど登りきったところだろう
「うー、のど乾いた。あ、そうだ」
俺は手首にかけていたビニール袋からラムネを取り出しビー玉の蓋を下に押しやった
炭酸と糖がのどを刺激して全身に安らかな平穏が訪れる
「・・・、・・・」
身体が満たされると再び意識が外へ向いていく。ひんやり冷たい岩や標高の上がった風は火照った体を冷やし、川のせせらぎが涼を運んでくる
「うーん、山、最高・・・ん?川なんかあったっけ?」
耳に流れ込んできたさらさらとした擬音を頼りに木々をかき分けていくと身長の倍の幅の川が流れていた
「いつもは大勢で登ってたから気づかなかったのか」
熊出山の新しい発見に心躍る
近寄って汗ばんだ手を洗い、その後顔にぶちまけた
「き、きもてぃいい」
4、5分ほど無為に川を眺めた後、腰を上げた
「さてと、そういえば少しけもの臭いような・・・。気のせいか」
俺は踵を返し、少し勾配の上がる山道に対してまた新しい発見があるのではないかと心高ぶらせ山頂を目指した
山頂から見た景色は中学校のとき見たままだった
唯一違うのは伸びた身長の分だけ自分が登ってきた道を見ることが出来たくらいだろう
「なんだかこうしてみるとそんなに大きくはないんだなぁ」
小学生の頃はこの熊出山がもっと大きくて、一度迷ったら二度と出られない迷宮だなんて思っていたこともあったのに
結局あれから山頂までは繰り返された道で目新しさや懐かしの思い出みたいなものはなかった
顔を上げて遠くの景色を見るとうっすらと小さな観覧車が見える。隣町のデパートに併設されている観覧車だ。
年に数度、家族であの観覧車に乗るのが楽しみだったのだ。それも小学生までで中学は部活だったり親に反抗したりとあんまりいかなくなった
きっと俺の家から車で30分もかからないだろう
なんだかさっきまであった活力みたいなものが消えてどんよりとした気分になったので俺は駄菓子だけ食べて足早に下山を決めた