当たり前の話だが大前提としてはなしておきたいのだが幼少期、「死」は自分にとって身近ではなかった
幼稚園の頃にひいばあちゃんが亡くなったがひいばあちゃんは遠く離れた県に住んでいて記憶はほとんど無かった
葬式も死体と火葬がものすごく怖かった思い出以外は人が死んだ実感がなかった
当たり前の話だが大前提としてはなしておきたいのだが幼少期、「死」は自分にとって身近ではなかった
幼稚園の頃にひいばあちゃんが亡くなったがひいばあちゃんは遠く離れた県に住んでいて記憶はほとんど無かった
葬式も死体と火葬がものすごく怖かった思い出以外は人が死んだ実感がなかった
続いて死について考えたのはじいちゃんの葬式だった
夏休みにしか会わない遠く離れた県に住んでいるじいちゃんは無口な人でよく酒を飲んでいた
自動販売機で買ったワンカップをよく飲んでいて、今でもワンカップはじいちゃんの酒というイメージがあるくらい
話した記憶はほとんどなくて、覚えているのは無言のじいちゃんばかりだった
じいちゃんがいつも座ってる席で腰を踏んでほしいと頼まれたこと
猫と釣りが好きで猫を飼いたがっていた事、釣ってきた魚や貝をよく食べさせてくれた事だ
そんなじいちゃんが死んだ時も涙は出なかった
葬式だから泣かなきゃいけないなと拳を握りながらうつむいていた事、死体と火葬がものすごく怖かった事だけを覚えている
ひいばあちゃん、じいちゃんを亡くしてもやっぱり死は身近ではなかった
子供の頃だからアリを池に入れて泳がせたり、ミミズを落ちてた缶詰の金具で千切った事もあったがそれでも死については遠い話の様に思えた
そんなある日妹が子猫を拾ってきた
アパート暮らしだったので猫を飼うことはもちろん反対された
友達の家を回っても誰も飼える家は無かった
友達同士で提案したのは猫用の餌とミルクを買ってダンボールで飼うこと
夜は友達同士交代でこっそり家に泊めてあげる事だった
近所の動物病院の先生に相談してから、出し合ったお小遣いで仔猫用ミルクと猫のカリカリを買った
ミルクを飲ませてカリカリをミルクでふやかした物をあげて
おしっこをさせる為に濡れティッシュでお尻を拭いたりした
はじめての夜は第一発見者のうちで預かる事になった
子猫を入れたダンボールを家のそばで待機させて、夜ご飯を食べたらすぐに子供部屋の窓から抜け出して、猫を部屋に連れ込んだ
今思えば壁の薄いアパートでニャーニャー鳴く子猫の声は親にバレてたのかもしれない
けれど当時は子猫と一緒に寝れる事が嬉しくて布団の中に入れて猫を暖めてあげようと思ったのを覚えている
季節は忘れたが布団を頭まで被って寝た結果、朝には猫は固くなっていた
内緒にしていた事も忘れて母さんに猫が死んだ事を訴えたのを覚えてる
死んだと思いたくなかったし、昨晩まではぷるぷる震えながらニャーニャーと鳴いてた事も
手の中で小刻みに震える体温も覚えていた
今でもあの猫は自分が殺してしまったんだと後悔している
親の反応は覚えていないが学校に行って友達に猫の事を伝えたら
お前は悪くない、チャトラは天国に行く運命だったんだよと責めずに慰めてくれたのを覚えている
学校が終わってすぐにお墓を作った時、冷たくなったチャトラに土をかけながら泣いた時、死が身近なものになった気がした
その頃から自分の両親もいつか死ぬと言う事を深く深刻に考えるようになった
今は元気で自分の事を大好きと言ってくれる両親がおばあちゃんみたいにしわくちゃに老いるのも想像ができなかったし
死んでしまう事も、自分がその頃には大人になっている事も相補ができなかった
自分は小学生のままなのに母さんがおばあちゃんになって死んでしまい
火葬場で燃やされるという想像を何度もしては怖くなっていた
どうしても死んだ体に魂が宿っていないという事が実感できず
体を燃やすのはとても熱いような気がして怖かった
火葬について考えるとまるで自分が燃やされているような気持ちになって心臓がバクバクしていた
小学生の頃放送されてたこち亀で、生きたまま火葬される話があったと思うんだ
今でも時々思い出すくらい怖いので、もしかするとそれを連想して怯えていたのかもしれない
話が脱線してしまったけれどその頃に坂井泉水が亡くなったニュースをテレビで見たんだと思う
断片的な記憶だけれどもテレビでは負けないでが流れていたし青い螺旋階段の踊り場の映像を何度も見た気がする
友達は負けないでって歌っときながら歌ってる本人が負けてんじゃんと言って笑ってた
自殺だという声もどこかから聞いたし子供の頃から毎週月曜日に見ていたコナンの主題歌を歌ってるということもあり
子供の頃の自分にとっては身近な人の死に感じられた
その時死への恐怖感と明るいはずなのにどこか寂しく物悲しい負けないでの曲調がリンクしたんだと思う
どうしてもこの曲を聞くと死への恐怖感が重なって胸がざわざわとして苦しくなってしまう
オチはないです
おしまい
葬式については両親が関西圏の人間だったので大人になるまで関西式の葬儀にしか出たことが無く
骨壺に骨を入れるとき、全部は入れないのが当たり前だと思っていたけれど
関東式の葬儀では箒みたいなのを使って粉のカスまで入れる事に衝撃を受けた
全部入れないのが当たり前になってしまっていると、まるでゴミを骨壺に入れてるかのような違和感を覚えてモヤモヤしてしまうけれど
関東の人からすると骨をすべて拾わない事に対してモヤモヤするのかもしれないと思いました
スレタイからの一行目を呼んで爆笑した
そのあとは読んでいない