,:*:・'☆,・:*: 未解決事件・:*:・゜☆,:* ID:Zrei8Bao

64名無しさん@Next2ch:2022/01/07(金) 20:30:15.07 ID:Zrei8Bao

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/感染症の歴史

人類史と感染症

農耕牧畜のはじまりと感染症
人類はその誕生以来疾病に苦悩してきたと推測され長い狩猟採集生活のなかでチンパンジーからマラリアオナガザルから黄熱病イヌ科哺乳動物から狂犬病といった感染症に罹患した可能性があるただし小集団で行動し人口密度の希薄な時代にあっては感染集団が全滅するなどしてしまえばそれ以上感染が拡がることはなかったものとみられるその後農耕が開始しあるいは定住生活へと移行して集落が発生し人と人さらに人と家畜が接近して生活するようになると人間と感染症の関係は劇的に変化した紀元前8000年頃西アジアではヒツジヤギブタの飼育すなわち牧畜がはじまっているがヒト型コロナウイルスが出現したのはその同時期だという説もあるインフルエンザやコロナウイルス感染症などは野生生物の世界で流行していた感染症が人類の間でも流行するようになった人獣共通感染症なのである牧畜の開始によって動物との接触が増え農業の開始によって定住化が進行し都市が形成されると感染症の流行が頻繁に起こるようになった旧約聖書や新約聖書古代中国文明やギリシア文明の古典ヴェーダをはじめとする古代インドの文献には結核ハンセン病コレラ天然痘マラリアインフルエンザ麻疹ペスト狂犬病肺炎トラコーマと考えられるさまざまな症状の感染症が登場する農業の開始が感染拡大に大きな影響をあたえた感染症にはマラリアや住血吸虫症がある灌漑のためにつくられた水深の浅い水路や溜め池は昆虫や巻き貝などの宿主の棲み処となった蚊が媒介するマラリアは農業の開始とともに人びとの間でも流行が始まりおよそ4800年前から5500年前の古代エジプトのミイラからもマラリア原虫のDNAが見つかっている住血吸虫は河川や湖沼に生息し巻き貝を宿主とする生活史を営んでいるがメソポタミアやエジプトにおける初期の農耕社会ですでに蔓延しており日本には水田耕作とともに弥生時代に持ち込まれたと考えられている

人類の移動と病気の拡散
東アジアと西アジア地中海世界をつなぐシルクロードは絹や漆器紙などを西方に宝石やガラス器金銀細工や絨毯などの文物を東方にもたらしたが同時にさまざまな感染症を交換させた天然痘や麻疹は西から東に運ばれペストは東から西へともたらされたこうした感染症に対し人びとは免疫をもたなかったので東西でパンデミックが生じ多くの人命が失われたシルクロードの東西それぞれの起点となった漢帝国と古代ローマは大人口を抱えて繁栄した当時の超大国であったが2世紀以降時を同じうして感染症の大流行が発生し人口が激減し帝国の分裂と混乱を招いた11世紀以降繰り返された十字軍遠征またそれによって活発化した交易もまたヨーロッパ大陸にペスト菌による感染症拡大をもたらしたと考えられる13世紀のユーラシア大陸で巨大な版図を有することとなったモンゴル帝国ではシルクロードの大部分が支配下に置かれることとなりユーラシアを横断する交易をいっそう拡大させたが感染症もまた東西に拡散されることとなったのである

コロンブス交換
コロンブス交換は1492年ののち発生した東半球と西半球の間の植物動物食物奴隷を含む人びとなど甚大で広範囲にわたる交換を表現する時に用いられる言葉で1492年のクリストファーコロンブスの新世界の発見にちなむその結果トウモロコシとジャガイモは18世紀のユーラシア大陸できわめて重要な作物となりピーナッツとキャッサバは東南アジアや西アフリカで栽培されるようになるなど世界の生態系農業文化の歴史において重大な出来事となったただしここでは多くの感染

65名無しさん@Next2ch:2022/01/07(金) 20:30:52.31 ID:Zrei8Bao

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/感染症の歴史

寄生虫症の流行

下に掲げたほかにもサシチョウバエ類によって媒介されトリパノソーマ科の原虫リーシュマニアの感染を原因とするリーシュマニア症やカメムシ目サシガメによって媒介されユーグレノゾアキネトプラスト類に属する鞭毛虫トリパノソーマクルージを病原体とするシャーガス病などの寄生虫病が知られる

住血吸虫症
住血吸虫症の起源は古く灌漑網を整備したメソポタミアやエジプトの初期農耕社会ですでに蔓延していたとみられマラリアとならんで農耕生活の広がりによって拡大した感染症である河川や湖沼に生息する巻貝が中間宿主となりヒトには生水を通して感染する住血吸虫の保虫者は慢性的な胃や胸の痛み疲労感下痢を訴えることが多く虫卵が膀胱や尿管の粘膜に集まるため尿路にも障害が生じるフランスの英雄ナポレオンボナパルトは尿道の激しい痛みを持病としていたが従来その原因は尿路結石とされていたしかしその症状記録を子細に検討した専門家は18世紀末葉から19世紀初頭にかけてのフランス軍のエジプト遠征エジプトシリア戦役の際に感染したビルハルツ住血吸虫症の可能性が高いと報告しているアフリカや中東にかけてはビルハルツ住血吸虫症が今なお流行しておりダムや灌漑水路の普及とともにますます拡大しているエジプトでは1970年完成のアスワンハイダムの貯水開始とともに感染が爆発的に拡大した日本には水田耕作とともに弥生時代に持ち込まれたと考えられている日本住血吸虫症は日本中国フィリピン等でみられる住血吸虫症の一種でミヤイリガイオンコメラニアという巻貝を中間宿主として成長した寄生虫日本住血吸虫が経皮感染によってヒトやウシネコなどに感染することによって発生する感染症である日本では古くから甲府盆地底部一帯や筑後川流域が罹病地域として知られてきた特に山梨県下では地方病と称されて地域特有の奇病と見なされてきた1904年に桂田富士郎が甲府市でこの寄生虫を発見し1913年に宮入慶之助と鈴木稔が佐賀県鳥栖市において寄生虫の中間宿主がオンコメラニアであることを発見したため病名に日本の名が付されることとなった中国湖南省長沙市の前漢代の墳墓である馬王堆遺跡のミイラから日本住血吸虫の生活痕跡を検出したことから中国においてこの感染症の流行はきわめて古くからのものであることが確かめられている中国では1950年代初頭四川盆地をふくむ長江流域や広東省福建省雲南省など広汎な地域で日本住血吸虫症の流行が顕在化し患者数は約3200万人にのぼったと推定される中華人民共和国では建国以来大衆動員によって古いクリークを埋め立て新しいクリークを開削する方法によってオンコメラニア対策が採られ1958年には江西省余江県での成功にちなんで当時の中国共産党の指導者毛沢東は送瘟神瘟神を送ると題する漢詩をつくっている日本住血吸虫症はこんにちでも中国やフィリピンを中心に年間数千人以上の新規感染患者が発生しているが日本では1978年に発生した山梨県の罹患者を最後に新規感染者が確認されておらず1996年には山梨県知事の天野建によって地方病終息宣言が出された

マラリア
単細胞の寄生虫であるマラリア原虫が赤血球に寄生して起こる感染症で40℃前後の発熱や悪寒などの症状をともない頭痛や吐き気をもよおすこともある熱系により三日熱四日熱定期性のない熱帯熱に分けられる熱帯亜熱帯地域に多く日本ではおこりとも呼ばれたマラリアの起源は古く農耕生活の始まりにさかのぼるヒトに感染するマラリア原虫には6種ありうち5種はゴリラやチンパンジーなどアフリカ産霊長類に起源を有しているの

66名無しさん@Next2ch:2022/01/07(金) 20:36:34.89 ID:Zrei8Bao

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細菌性感染症の流行

ペスト
ペストはペスト菌の感染によって引き起こされる重篤な感染症であるペスト菌は日光や乾燥熱には弱いが寒冷や湿潤に強い特性を持ちしたがって動物体内で乾燥を受けなければ長期間の生存が可能で穀類獣乳用水などでも棲息するペストは元来ネズミなど齧歯類の感染症であるため一般的にはヒトが感染する以前にネズミの集団のなかで流行がみられる齧歯類の個体相互にペスト菌を媒介するのはノミであるが多数のペスト菌を保持したノミがヒトの皮膚を刺しやがてヒト相互のあいだでノミが菌を伝播させる腺ペストの流行はこのように発生しノミの多い夏季に多く発生するしかし腺ペスト患者が敗血症や肺炎に罹り喀痰のなかにペスト菌が確認されるに至ると飛沫感染によって直接的にまた排泄物や衣類等日用品によって間接的に急速な感染拡大がうまれるこれが肺ペストであり冬にも多く発生するそしてネズミの移動とともに感染も各地に広がるペストはシルクロード交易によって東方から西方に伝わった感染症でローマ帝国最盛期五賢帝時代の2世紀マルクスアウレリウスの治世に300万を超える死者を出している感染はその後も断続的につづき人類はこれまでに少なくとも三度にわたるペストのパンデミックをみているこれは第一次パンデミック6世紀のユスティニアヌスのペストに始まって8世紀末までつづいたもの第二次14世紀に猖獗をきわめた黒死病から17世紀末にかけてのものオスマン帝国では19世紀半ばまでつづいた第三次19世紀末から20世紀中盤までつづいたものと整理されることも多いとりわけ第二のパンデミックとされることの多い黒死病は正確な統計はないが全世界で8500万人当時のヨーロッパ人口の3分の1から3分の2にあたる約2000万から3000万人前後イギリスやフランスでは過半数が死亡したと推定されている中国では1331年の元の時代に大流行が発生し1334年には河北省で人口の9割にあたる500万人規模推定の死亡患者が出たという隊商などによってイランやシリアパレスティナに拡大しエジプトさらにチュニスなどの北アフリカを経てヨーロッパに感染を拡大させた[18]特にイランやエジプトでは猖獗をきわめ人口の3割をこの時期のペスト感染で失ったとみられる[18]この時期のヨーロッパにおけるペストの感染爆発には10世紀から14世紀にかけての比較的温暖な気候を背景に起こった中世農業革命と称される技術革新とのかかわりを指摘する見解がある[34]それによれば鉄製農具の性能が格段に向上して三圃制が普及し食糧増産が可能になったものの相次ぐ開墾によって森林が急速に農地に転用されたためネズミの天敵猛禽類やキツネオオカミが激減一方人口増加と都市の発生により人間や家畜の排泄物肉の解体クズゴミの投棄などネズミの繁殖に好適な環境が生まれたそこに異常気象の発生によって深刻な食糧危機が生じ人びとの抵抗力が弱まっているところにペストが蔓延したというのであるペスト菌の存在がわからなかった時代には大流行のたびに原因が特定の人びとにおしつけられ魔女狩りが行われたり特にユダヤ教徒をスケープゴートとして迫害する事件が続発した1664年から翌年にかけてのロンドンの大疫theGreatPlagueofLondonと称される大流行もよく知られており18世紀前半のマルセイユの大ペストも甚大な被害をもたらした流行として有名であるなお1833年から45年にかけてのエジプトの流行はそれほど大規模なものではなかったが患者が初めて熟練の医師によって科学的に究明された点で画期的な意義を有するものであった

ハンセン病
歴史上ではレプラらい病などと

67名無しさん@Next2ch:2022/01/07(金) 20:39:03.33 ID:Zrei8Bao

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チフスの流行と識別

チフスはもともと発疹チフスのときに見られる高熱による昏睡状態のことを古代ギリシアのヒポクラテスがぼんやりした煙がかかったを意味するギリシア語typhusと表記したことに由来するといわれるが長い間発疹チフスと腸チフスパラチフスの区別がなかった

腸チフスパラチフス
腸チフスやパラチフスは16世紀のイタリアの数学者でもあり医者でもあったジェロラモカルダーノが発見者といわれているがこれはともにサルモネラの一種であるチフス菌によるもので発疹チフスとは全く異なる条件下異なる病原体が原因で起こるものサルモネラ症である症状が似ているため区別が遅れた1836年にようやく両者の識別がなされて別の疾患として扱われるようになった

発疹チフス
発疹チフスとはコロモジラミが媒介するリケッチアによる感染症で高熱せき発疹が特徴である人口密集地域不衛生な地域にみられ冬期または寒冷地での流行が顕著である1490年スペイン兵がキプロス島から発疹チフスをもちこみヨーロッパで流行し1545年にはメキシコで流行した17世紀以降ヨーロッパの王侯貴族や裕福な中上級市民の間で頭髪を丸刈りにしてかつらをかぶる習俗が大流行した背景にはシラミ予防の意味もあったという
1812年のナポレオンのロシア遠征の際にはフランス軍で大流行し大勢の死者を出した19世紀の発疹チフスの流行はコレラとともに労働運動活発化の一因となり各国は都市の改造や公衆衛生を徹底させるなどの都市政策をおこなった第一次世界大戦下のロシアでは3000万人が罹患しその1割にあたる人びとが死亡しているまたナチスドイツによるユダヤ人虐殺のための強制収容所内でも大流行したフランスの細菌学者シャルルジュールアンリニコルはフランス植民地のチュニスチュニジアにおいて風土となっていた発疹チフスを研究し病院に入院すると感染しない傾向がみられるから院内と院外の条件を比較して患者の衣服に着目したニコルは1928年に発疹チフスの研究でノーベル生理学医学賞を受賞している

リケッチア感染症の流行
リケッチア症はリケッチアという病原体がダニなどの節足動物を媒介として引き起こす感染症であるリケッチアはウイルス同様細胞外では増殖できず抗生物質も効かないリケッチア症には上述した発疹チフスのほかロッキー山紅斑熱や日本紅斑熱があるツツガムシケダニによって媒介されオリエンティアツツガムシツツガムシリケッチアへの感染によって引き起こされるツツガムシ病もリケッチア症に属する

68名無しさん@Next2ch:2022/01/07(金) 20:41:37.74 ID:Zrei8Bao

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ウイルス性感染症の流行

麻疹
麻疹は一般にはしかといわれ麻疹ウイルスによって感染する感染力はきわめて強く高熱咳鼻水全身性の発疹をともない口中にコプリック斑英語版と呼ばれる白い斑点ができる日本でも古くから知られ平安時代以降の文献にしばしば登場するあかもがさは麻疹であろうと考えられている正暦から長徳への改元のあった995年正暦6年長徳元年に全国的な伝染病となって平安京を直撃貴族も多数死亡して政治に混乱をきたした古来ほとんどの人が一生に一度はかかる重症の伝染病として知られかつては命定めとよばれて恐れられたため全国各地に麻疹に関する民間信仰が伝わっている[53]富山県高岡市でははしかが流行すると九紋龍の手形の紙をもらい九紋龍宅と書いて門口に貼って病除けにした伝承がのこる神奈川県横浜市や大和市藤沢市に点在する鯖神社左馬神社佐婆神社ともを一日で巡る七さば巡りをおこなうとはしかや百日咳の病除けになるといい愛知県や三重県ではアワビの貝殻を戸口につるしてはしか除けをしたという江戸時代の庶民にとって地震や火事とともに怖れられたのが感染症であったがとくに疱瘡天然痘麻疹はしか水疱瘡水痘は御役三病と呼ばれて恐怖された世界保健機関WHOでは2015年3月27日日本を麻疹の排除状態にあると認定した排除状態は日本に土着するウイルスによる感染が3年間確認されない場合に認定される2014年の流行などは日本国外から持ち込まれたウイルスのため判断に影響していない

天然痘
天然痘は有史以来高い死亡率治癒しても瘢痕を残すことから世界中で不治悪魔の病気と恐れられてきた代表的な感染症である痘瘡ともいい天然痘ウイルスによる高熱嘔吐腰痛があり全身に発疹するすでに1万年前にはヒトの病気であったらしい天然痘で死亡したと確認されている最古の患者は古代エジプトの第20王朝のファラオラムセス5世でありミイラの頭部に天然痘の痘庖があることを確認している彼は紀元前1157年に死亡したとみられる165年のパルティア遠征中のローマ軍のなかで発生しこののちローマ帝国内で流行したといわれる伝染病はこんにちでは天然痘であると考えられておりこれによりローマは深刻な兵力不足に陥って国力衰亡の原因のひとつとなった天然痘は4世紀以来アジア各地で流行している中国ではジェンナー後述による種痘牛痘が試みられる前から発疹の瘡蓋かさぶたを用いた人痘がさかんにおこなわれていた日本では律令国家の完成期で中央集権化が急速に進んだ奈良時代に天然痘が大流行し天平7年735年から天平10年738年の流行では総人口の約3割が死亡したという試算もある好んで宴会をひらいた藤原武智麻呂房前宇合麻呂の4兄弟藤原不比等の子は天然痘にかかって相次いで死去しときの最大権力者で不比等の孫ないし女婿にもあたる聖武天皇が東大寺大仏を建立することを決めた背景には疫病をどうにかして鎮めたいという強い意思があったと考えられる16世紀にスペインがアメリカ大陸を侵略した際このウイルスを持ち込み奴隷労働とあいまって先住民人口が激減する不幸な事態となったW.H.マクニールはエルナンコルテスが1521年に600人弱の部下で数百万の民を擁するアステカ王国を軍事的に征服したのみならず文化的精神的にも征服しえたのはコルテス一行が持ち込んだ天然痘ウイルスによってアステカ王国の首都で天然痘が猛威をふるっていたにもかかわらず従来のアステカの事物はそれに対しまったく無力であったことに起因するとしている1533年のフランシスコピサロによるインカ帝国の征服もそれに先だって中央アフリカから帝代のコロンビア

69名無しさん@Next2ch:2022/01/07(金) 20:44:03.39 ID:Zrei8Bao

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新興感染症

新興感染症は世界保健機関WHOの定義によると新興感染症はかつては知られていなかったこの20年間に新しく認識された感染症で局地的にあるいは国際的に公衆衛生上の問題となる感染症とされている

エイズ
1981年6月にアメリカのロサンゼルスに住む同性愛男性4人に初めて発見され症例報告された新興感染症であるただしこれはエイズと正式に認定できる初めての例で疑わしい症例はすでに1950年代から報告されており中部アフリカ各地などで痩せ病slimmingdiseaseという疾患群が報告されていた1982年7月この病気はAIDS後天性免疫不全症候群と名づけられ1984年にはエイズウイルスが発見された1981年の症例報告後わずか10年程度で感染者は世界中で100万人にまで広がった日本では1986年昭和61年の松本事件1987年昭和62年の神戸事件高知事件などエイズパニックと称される一連のパニックが引き起こされたこれは行政当局や医療機関のあり方に問題がなかったわけではなかったがむしろパニックに仕立て上げていったのはマスメディアであったアメリカでエイズが広がり始めた当初原因不明の死の病に対する恐怖感に加えて感染者に同性愛者や麻薬常習者が多かったことから感染者に対して社会的な偏見が持たれることも多かったアメリカはエイズパニックを体験した最初の国であった現在は病原体としてヒト免疫不全ウイルスHIVが同定され異性間性行為による感染や出産時の母子感染も起こりうることが広く知られるようになったしかし未だこの病気に対する知識の不足から来る差別や偏見がみられる日本ではおもに血友病の患者に対して非加熱製剤を治療に使用したことから多数のHIV感染者およびエイズ患者を生む薬害エイズ事件をひきおこし大きな社会問題となったそれ以外でHIVに感染する可能性はHIV感染者との性行為であるため相手がHIVに感染していないことが確実でなければ性行為をおこなわないかあるいはコンドームを用いて感染の可能性をなくすことが大切であるまた早期に治療を開始するためにはHIV抗体検査英語版が必要であるエイズはアメリカをはじめ世界各地で患者や感染者が増加しており現代医療の大きな課題といえる各国でエイズ予防キャンペーンが繰り広げられている

エボラ出血熱
エボラ出血熱は1976年6月のスーダンのヌザラNzaraという町で倉庫番を仕事にしていた男性が急に39度の高熱と頭や腹部に痛みを感じて入院その後消化器や鼻から激しく出血して死亡したことを最初の確認例とする新興感染症であるそののちその男性の近くにいた2人も同様に発症してこれを発端に血液や医療器具エアロゾルを通して感染が広がった最終的にヌザラでの被害は感染者数284人死亡者数151人というものだったこの最初の男性はザイール現コンゴ民主共和国のエボラ川付近の出身で森に深く入って炭焼き小屋に長く生活したことがあり病原菌との関係が考えられるためこの病気を引き起こしたウイルスの名前をエボラウイルスと名づけ病気もエボラ出血熱と名づけられた症状は全身の出血のほか臓器の壊死もあるその後エボラ出血熱はアフリカ大陸で10数回にわたって突発的に発生流行しており感染したときの致死率は50パーセントから89パーセントの範囲にあって非常に高くまた有効な治療法もないことから非常に怖れられているただし血液感染のため患者の血液に触れなければ二次感染はおこらずアフリカにおいては病院の注射器や看護者を通じて感染が広がったものであるこの感染症は熱帯雨林の開発によって人が新たな病原体に遭遇したものでガボンではチンパンジーから感染したといわ


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1001名無しさん@Next2ch:Over 1000 Thread

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