,:*:・'☆,・:*: 未解決事件・:*:・゜☆,:* ID:KNaRgUwp

187鳳雛:2022/02/06(日) 20:34:32.02 ID:KNaRgUwp

sage

188鳳雛:2022/02/06(日) 20:35:37.42 ID:KNaRgUwp

例え話)球場と野外広場
地球には野球というスポーツがある野球には色々な球団がある巨人という球団もあれば阪神という球団もあれば他の球団もあるどの球団を好きでもいいどの球団を応援してもいいところが頭がおかしな奴らがいるフーリガンであるフーリガンは阪神ファンで阪神の応援席を出て他の応援席に行き例えば巨人の応援席に行き「巨人を応援してはならない阪神を応援しなければならない」フーリガンは犯罪者球場にいてはならない球場から放り出され野外広場に放り込まれなければならない野外広場は乱入しても捕まらない乱入されても相手は捕まらない

189鳳雛:2022/02/06(日) 20:36:40.20 ID:KNaRgUwp

はんざいがおきている
ぜんにんは
はんざいをおこり
なくそうとするが
あくにんは
はんざいをはしゃぎ
おこそうとする
あくにんをおこるのが
かいけつほうほうなのに
あくにんをなぐらず
ぜんにんをなぐっている
ばかどもがいるから
かいけつにならない
かいけつほうほう
ぜんにんをなぐっている
ばかどもをやっつけ
あくにんをおこり
はんざいをかいけつする
はんざいをはしゃぎおこそうとするあくにんども
...
ぜんにんをなぐっているばかども
...

190鳳雛:2022/02/06(日) 20:38:11.32 ID:KNaRgUwp

20220205a

はんざいがおきている

ぜんにんは
はんざいをおこり
なくそうとするが
あくにんは
はんざいをはしゃぎ
おこそうとする

あくにんをおこるのが
かいけつほうほうなのに
あくにんをなぐらず
ぜんにんをなぐっている
ばかどもがいるから
かいけつにならない

かいけつほうほう
ぜんにんをなぐっている
ばかどもをやっつけ
あくにんをおこり
はんざいをかいけつする

はんざいをはしゃぎおこそうとするあくにんども
アダチコウジ イジュウインヒカル オオツカアキオ オノダイスケ カマダマコト カワベハルヨシ コイズミジュンイチロウ サイトウマツヒコ スギモトタカフミ スズキアツシ タカハシヒロアキ タマキヒロシ(たまきん) ツツイヤスタカ トコロジョージ ハマダマサトシ ハヤシバラメグミ ミウラトシカズ
...

ぜんにんをなぐっているばかども
タマキヒロシ(ぬすびと)
コイズミジュンイチロウ(ぬすびと)
ほくだいども(
ほくだいスズキアツシ(ぬすびと)
ほくだいタカハシヒロアキ(ぬすびと)

せいゆうども(
せいゆうオノダイスケ

かんさいぎゃんぐサイトウマツヒコ(ぬすびと)
かんさいげいにんども
げいにんども
しょうきども(
しょうきイジュウインヒカル(ぬすびと)
しょうきツツイヤスタカ(ぬすびと)
しょうきオオツカアキオ(ぬすびと)

...
ひとつぶカワベハルヨシ
カマダマコト

191鳳雛:2022/02/06(日) 20:39:18.02 ID:KNaRgUwp

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/感染症の歴史

感染症の歴史
感染症は世界の歴史において社会的経済的文化的に甚大な影響を与えた感染症の対策や治療の探求により医学は発展してきた病原体がヒトや動物のからだに侵入し増殖して感染をおこすと組織を破壊したり毒素を出したりしてからだに害をあたえると病気となるこれを感染症という感染症の歴史は生物の出現と進化の歴史とともにあり抗生物質の普及や予防接種の義務化などによって感染症を過去の脅威とみなす風潮もみられたが耐性菌の拡大や新興感染症の出現など一時の楽観を覆すような新たな状況が生じており今なおその脅威は人類社会に大きな影を投げかけている

病原体の発見
イブンハーティマは感染症は微生物がヒトの体内に侵入することによって発症するとの仮説を打ち立てた病原体についてそれを人類が初めて見たのは1684年の光学顕微鏡による細菌の観察だといわれる病原体が現在のように判明してきたのは19世紀以降のことであってコッホに負うところが大きい感染症の病原体を特定する際の指針としてコッホの原則を提唱して近代感染症学の基礎となる科学的な考え方を打ち出した光学顕微鏡では観察できない極小のウイルスの発見は細菌よりも遅れ1892年のタバコモザイクウイルスの発見が最初であった細菌よりもはるかに小さいウイルスの観察には電子顕微鏡が必要である

治療法の発見
細菌による感染症は1929年に初の抗生物質であるペニシリンが発見されるまで根本的な治療法がなかった抗生物質は生物が遺伝子が膜で被覆される真核細胞であるのに対し細菌が遺伝子が膜で被覆されない原核細胞であるという違いを利用して細菌にだけに効くようにした薬品である抗生物質の開発は感染症治療に新しい地平を切り開いた一方ウイルス感染症には抗生物質が効かず今なお患者自身の免疫に頼らざるを得ない部分が大きい個々のウイルスの分子生物学的な形質はきわめて多様でありそれぞれのウイルスに応じた治療薬が必要である

192鳳雛:2022/02/06(日) 20:40:52.55 ID:KNaRgUwp

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/感染症の歴史

人類史と感染症

農耕牧畜のはじまりと感染症
人類は誕生以来疾病に苦悩してきたと推測され長い狩猟採集生活のなかで感染症に罹患した可能性があるただし小集団で行動し感染集団が全滅するなどしてしまえばそれ以上感染が拡がることはなかったものとみられるその後農耕が開始しあるいは定住生活へと移行して集落が発生し人と人が接近して生活するようになると人間と感染症の関係は劇的に変化した農業の開始によって定住化が進行し都市が形成されると感染症の流行が頻繁に起こるようになった

人類の移動と病気の拡散
東アジアと西アジア地中海をつなぐシルクロードは同時にさまざまな感染症を交換させたこうした感染症に対し人びとは免疫をもたなかったので東西でパンデミックが生じ多くの人命が失われたシルクロードの東西それぞれの起点となった漢帝国と古代ローマは大人口を抱えて繁栄した当時の超大国であったが時を同じうして感染症の大流行が発生し人口が激減し帝国の分裂と混乱を招いた11世紀以降繰り返された十字軍遠征またそれによって活発化した交易もまたヨーロッパ大陸に感染症拡大をもたらしたと考えられる13世紀のユーラシア大陸で巨大な版図を有することとなったモンゴル帝国ではユーラシアを横断する交易をいっそう拡大させたが感染症もまた東西に拡散されることとなったのである

コロンブス交換
1492年のコロンブスの新世界の発見ののち多くの感染症もまた交換されることとなった免疫をもたなかった先住民はこれらの伝染病によって激減したまもなく先住民を使役して鉱山で金や銀を掘り出しカリブ海域ではサトウキビの栽培が始まった先住民は過酷な労働条件と感染症のために激減し深刻な労働力不足に陥ったこれを補うため黒人奴隷をアフリカ大陸に求めて奴隷貿易がはじまったここに西ヨーロッパ西アフリカ南北アメリカ大陸を結ぶ人とモノの貿易連鎖いわゆる三角貿易が成立し大西洋をはさむ4大陸のあいだに大西洋経済とよばれる世界システムが形成されていったコロンブス交換は歴史学者によって唱えられた用語である上述のようにそれはヨーロッパとアメリカ大陸との相互の疫学的条件の均質化をうちに含んでいるがこれを歴史家は細菌による世界の統一という表現を用いて説明した

193鳳雛:2022/02/06(日) 20:42:23.93 ID:KNaRgUwp

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/感染症の歴史

寄生虫症の流行 

住血吸虫症

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/地方病_日本住血吸虫症

日本住血吸虫症は長い間その原因が明らかにならず多大な被害を与えた感染症である原因解明への模索開始から終息宣言に至るまで100年以上の歳月を要するなど感染メカニズムを知識として知ることのできる現代の視点から見れば罹患した理由も明らかであるしかし近代医学知識のなかった時代の人々にとっては原因不明の奇病であり甲府盆地に生まれた人間の宿命とまで言われていた

194鳳雛:2022/02/06(日) 20:44:01.63 ID:KNaRgUwp

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/地方病_日本住血吸虫症

原因不明の奇病も病原体の発見感染経路の解明中間宿主の発見へと病気の原因となるメカニズムが比較的短期間に解明されていった

1881年この奇病の原因解明への端緒となる書が提出された村では古くから地方病が流行していたが村の東西に病気はなく中央部にだけに病気があることから発生地域を示した村の略図を添えて病気の原因調査を依頼1884年調査が行われたが原因は不明1887年ある虫卵を発見しかし関連性もこの段階では分からなかったまた同時期の1886年有病地の村から来た20歳前後の徴兵年齢の青年の大半が深刻な発育不良集団発生していることは日清戦争直前で富国強兵は国策であり兵役に適さない健康不良者の多発はきわめて重大な問題とみなされた軍部は事態を重く見て知事に対し原因解明を行うよう強く要求以後行政は対策に本腰を入れることになる

この奇病はまだ知られていない新種の寄生虫が大きく関与していることを確信この虫卵を産む母虫こそ地方病の原因ではないかと主張しかし意見一致には至らなかった正体不明のこの虫卵に蓋がないことに着目多くの吸虫類の虫卵には蓋があるのに対して蓋のない吸虫類はビルハルツ住血吸虫ぐらいしか知られておらず蓋のないこの虫卵はビルハルツ住血吸虫卵と似ていると気付く1904年新種の寄生虫を発見後に日本住血吸虫と名付けられるこの奇病の病原寄生虫発見の瞬間であるこの奇病が寄生虫病であると確定はしたが感染経路生態メカニズムの解明が次の課題であった

寄生虫病であることが確定した後感染経路の解明が進められた2つの仮説があり一つは飲料水からの経口感染説もう一つは皮膚からの経皮感染説であった東京帝国大学医学部卒の医局員は1905年経口感染説を主張した多くの医学者研究者が賛同した確証はないものの経口感染説が広がり始め飲料水の煮沸が義務付けられたしかしそれにもかかわらず状況に変化がないことから経口感染説は間違っているのではないかとの疑問が出始めた実験の結果は予想に反したものだった経皮感染を予防したグループは全く感染しておらず経口感染を予防したグループが全感染していたのである経口感染を主張した医局員も自説を曲げられず追実験を1910年行った経口感染を信じて疑わなかった医局員であったが自らの主張とは正反対の結果になり経皮感染を認めざるを得ず感染は皮膚からであると報告し学会内の意見も経皮感染に統一された

感染は皮膚からであることが明らかになったしかし別の新たな疑問に悩んでいた卵は孵化した後水中でどのように発育して皮膚に再び潜り込んで行くのかという謎であった虫卵から孵化した直後の仔虫ミラシジウムはそのままでは哺乳動物に感染せず2日以内に死滅することが判明したミラシジウムは自然界にいる動植物の何らかを中間宿主としている感染するのに適した体へ成長するのだとの結論に達する虫卵から孵化した段階の幼生(ミラシジウム)と皮膚から感染する段階の幼生(セルカリア)とでは形態形状が異なることが判明し成虫に至る過程には中間宿主が必要であることが確定した

中間宿主探しが始まった中間宿主が立証確定されたのは翌年の1913年のことである用水路で小さな巻貝を見つけ虫卵から孵化させたミラシジウムが巻貝に侵入し最終的にセルカリアとなって水中に出てくることを確認した中間宿主が特定されたことの意義はきわめて大きかった成長過程において中間宿主以外には寄生できないのなら絶滅させることができれば生活環を絶つことができるこの奇病の新たな発生もコントロールできるまたこの発見は日本国外にも

195鳳雛:2022/02/06(日) 20:46:11.91 ID:KNaRgUwp

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/地方病_日本住血吸虫症

長らく人々を悩ませていた地方病の原因メカニズムは全て解明され撲滅への活動が始まった比較的短期間に解明された病因に対し病気の撲滅には非常に長い期間を要した人々が一丸となってさまざまな対策を試行錯誤しながら同時に進めていった

病原体の発見と感染経路の解明そして中間宿主の確定は地方病の予防という観点から見れば非常に大きな成果であったしかしすでに罹患してしまった患者に対する治療は困難を極めた約半世紀後の1970年代に新薬プラジカンテルを開発するまで困難な治療だった

侵入したセルカリアは成虫に成長するまでは卵を産むことはなく罹患者に自覚症状がない場合も多いよって大部分の患者は症状が悪化してから医療機関へ出向くことが多かった早い段階で発見できなければ治療はより難しくなる感染の早期発見が重要であった寄生虫本体から作った抗原を用いた検査法検査法を導入し各種の抗原抗体反応を用いた診断法が研究された

1910年から健康診断が行われ甲府盆地全体における罹患者の実数が調査された患者数は7,884名で平均罹患率は11.4%であった罹患率の高い地域に偏りがあることも分かった罹患率が異常に高かったのは登美村の55%旭村の35%大草村の34%御影村の40%など古くから人々の間で歌われていた地域での流行を実証するものであったまた甲府盆地の最東部では病気が一切なく西へ向かうにつれ病気が現れ甲府盆地中央部の西側から一気に罹患率が上がり特に釜無川両岸地域の罹患率が高いことも改めて実証されたこの甲府盆地内での西高東低ともいえる有病地の偏りは流行末期まで続いた

子供たちの川遊びなどによる感染は正しく指導することで防ぐことが可能なため啓蒙対策が急務となったしかし複雑な感染メカニズムを文字や文章のみで理解することは難しいため方法を模索した1917年俺は地方病博士だと題した当時としては画期的なイラストを多用した多色刷りの予防冊子を2万部作成し無償で配布した生態が解明されてから僅か3年半後であったことを考えても当時の関係者が児童への感染防止をいかに重視していたのかが分かる

代々開業医として地方病患者の治療に当たってきた郷土医は献身的な治療を行うと同時にこの疾患に対する予防の知識を通じた啓蒙活動を行い続けたしかし一向に減らない地方病に感染防止の難しさを感じこの奇病を根本的に根絶するには中間宿主の撲滅しかないと考え天敵であるホタルや捕食動物としてのアヒルなどを飼育する施設を自宅を兼ねた医院敷地内に作りまた共に闘う他の医師たちへ金銭的な援助を行うなど私財を投じて撲滅への活動を始めたやがてそれは官民一体による撲滅運動に発展し1925年に撲滅組合が結成され終息宣言を迎える71年後までの長期間にわたり県民一丸となって進められた2010年町では地方病の研究治療に生涯をかけた業績病気に立ち向かった先人の足跡を後世に伝承していくために建物を整備し風土伝承館として同年11月16日に設立公開した


犯罪者 タマキヒロシ コイズミジュンイチロウ スズキアツシ タカハシヒロアキ チハラコウジ マエダアツコ オノダイスケ セキグチマンディ ツツイヤスタカ カワベハルヨシ サイトウマツヒコ キヨカワモトム ハヤシバラメグミ ムラカワ サカイマサト ミヤモトエイコ ダットのオオニシ イチヤナギマサヨシ タカダジュンジ ソネマヒロ ミタヒロ ハマダマサトシ ミウラトシカズ サカガミシノブ

解決者 正義の通報者(鳳雛)

にせ者 厚かましくも鳳雛の真似したがり ものまねタマキ

196鳳雛:2022/02/06(日) 20:48:11.99 ID:KNaRgUwp

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/地方病_日本住血吸虫症

1935年20,000ヘクタール近い有病地が指定された撲滅事業により有病地指定面積は徐々に減少し1960年1961年1974年の3回にわたり有病地の指定は順次解除され1977年には当初の指定面積の約半分まで減少した最終的に1994年をもって有病地の指定はすべて解除された大正期には有病地水田において少ない所でも1平方メートルあたり100匹は採取できひどい場所になると何層にも重なり竹ぼうきで掃いてちりとりに集められるほどであったまた草屋根の上にまで登り生息し最もひどい地域になると炊事場の窓枠にまでびっしりと群がっていたというつまり水中でミラシジウムに感染したミヤイリガイが陸上に上がった際に露などの水滴に触れればその水滴中にセルカリアが泳ぎ出すこともあり得たのであるミヤイリガイの生息濃厚地域では草むらを素足で歩いただけで感染してしまう恐ろしさに農民はなすすべもなかった

ミヤイリガイが中間宿主であると解明されてから地方病の撲滅はすなわちミヤイリガイの撲滅であると人々の間で共通認識となり発見の翌年1914年には早くも殺貝実験が行われたが効果のある決定的な殺貝方法は見つけられなかった

そんな中地域住民によるミヤイリガイの拾い集めが始まったミヤイリガイをなくせば地方病はなくなると聞いた農民が自発的に行動を始めたのであるそれは女性や幼い子供たちをも動員し箸を使って米粒ほどの小さなミヤイリガイを1匹ずつ御椀に集めていくという気の遠くなるような涙ぐましいものであった農民たちへの努力に応えるべく県により採取量1合に対し50銭が給付され1合を増すごとに10銭の奨励金が交付されたこの活動は1917年から8年間にわたって実施され8年間で米俵にすると約96俵分ものミヤイリガイが採取された

がミヤイリガイは繁殖力が強く1か所だけで駆除してもそれは言わば焼け石に水でありたとえ1匹でも残っていれば感染を絶つことはできないわずか1匹のミヤイリガイから最終的に数千匹ものセルカリアが生まれるのであるさらなる有効な撲滅法の出現が待望された

新たな動きが起きたのは1924年であった石灰を利用した殺貝方法は考案された生石灰は水によく溶ける粉末の物質である水の量を100とした場合生石灰を1から2の割合すなわち1-2%にすれば神経系統を麻痺させ呼吸困難に陥らせることによって24時間以内に90%以上のミヤイリガイを殺せることが分かった1925年に生石灰の散布が決定され1924年から1928年にわたる5年間の費用のうち約8割が寄附金であったことからも住民の地方病撲滅への願いの強さが分かるこうして行政と地域住民による撲滅活動は終息宣言が出されるまで70年以上継続されていくことになりあらゆる手段を駆使してミヤイリガイ撲滅地方病の根絶という最終目標に向け親から子へ子から孫へと世代を越え引き継がれていった

1936年生物学者はミヤイリガイが流れの緩やかな場所に生息する特性から用水路をコンクリート化し直線化することによって流速を速め生息しにくい環境を作ることの有効性を唱えたコンクリート化事業が1956年より本格的に開始されたこうして甲府盆地を網の目状に流れる水路は大小問わず全てコンクリートで塗り固められた撲滅事業が終了した1996年の時点でコンクリート化された用水路の総延長は北海道函館市から沖縄県那覇市間の直線距離に相当する2,109キロメートルに達している

197鳳雛:2022/02/06(日) 20:50:07.99 ID:KNaRgUwp

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/地方病_日本住血吸虫症

地域住民による地道な殺貝の取り組みによる効果は新規感染患者の減少という目に見えた形で現れた古くから稲作が中心であった甲府盆地の農業形態は果樹栽培へ転換され長期間にわたって水を張った水田が減り今日見られるような果樹園が広がる景観を決定付けた先祖代々稲作を続けてきた土地ではあったが同じく先祖代々苦しめられてきた地方病と決別するためなら反対する者などいなかった

甲府盆地では1978年に発生した1名を最後にこれ以降の新たな感染者の発生は確認されなくなった甲府盆地における日本住血吸虫症の流行は1980年代前半頃に終息したものと今日では考えられている1996年終息宣言を行った1881年始まった地方病問題は1996年実に115年目にして終息を迎えたこうして古くから謎に包まれていた地方病は病原の解明感染メカニズムの解明が行われ世代を超えた多くの人々の努力により日本国内での日本住血吸虫症は制圧撲滅された


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1001名無しさん@Next2ch:Over 1000 Thread

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