,:*:・'☆,・:*: 未解決事件・:*:・゜☆,:* #196

196鳳雛:2022/02/06(日) 20:48:11.99 ID:KNaRgUwp

ttps//ja.wikipedia.org/wiki/地方病_日本住血吸虫症

1935年20,000ヘクタール近い有病地が指定された撲滅事業により有病地指定面積は徐々に減少し1960年1961年1974年の3回にわたり有病地の指定は順次解除され1977年には当初の指定面積の約半分まで減少した最終的に1994年をもって有病地の指定はすべて解除された大正期には有病地水田において少ない所でも1平方メートルあたり100匹は採取できひどい場所になると何層にも重なり竹ぼうきで掃いてちりとりに集められるほどであったまた草屋根の上にまで登り生息し最もひどい地域になると炊事場の窓枠にまでびっしりと群がっていたというつまり水中でミラシジウムに感染したミヤイリガイが陸上に上がった際に露などの水滴に触れればその水滴中にセルカリアが泳ぎ出すこともあり得たのであるミヤイリガイの生息濃厚地域では草むらを素足で歩いただけで感染してしまう恐ろしさに農民はなすすべもなかった

ミヤイリガイが中間宿主であると解明されてから地方病の撲滅はすなわちミヤイリガイの撲滅であると人々の間で共通認識となり発見の翌年1914年には早くも殺貝実験が行われたが効果のある決定的な殺貝方法は見つけられなかった

そんな中地域住民によるミヤイリガイの拾い集めが始まったミヤイリガイをなくせば地方病はなくなると聞いた農民が自発的に行動を始めたのであるそれは女性や幼い子供たちをも動員し箸を使って米粒ほどの小さなミヤイリガイを1匹ずつ御椀に集めていくという気の遠くなるような涙ぐましいものであった農民たちへの努力に応えるべく県により採取量1合に対し50銭が給付され1合を増すごとに10銭の奨励金が交付されたこの活動は1917年から8年間にわたって実施され8年間で米俵にすると約96俵分ものミヤイリガイが採取された

がミヤイリガイは繁殖力が強く1か所だけで駆除してもそれは言わば焼け石に水でありたとえ1匹でも残っていれば感染を絶つことはできないわずか1匹のミヤイリガイから最終的に数千匹ものセルカリアが生まれるのであるさらなる有効な撲滅法の出現が待望された

新たな動きが起きたのは1924年であった石灰を利用した殺貝方法は考案された生石灰は水によく溶ける粉末の物質である水の量を100とした場合生石灰を1から2の割合すなわち1-2%にすれば神経系統を麻痺させ呼吸困難に陥らせることによって24時間以内に90%以上のミヤイリガイを殺せることが分かった1925年に生石灰の散布が決定され1924年から1928年にわたる5年間の費用のうち約8割が寄附金であったことからも住民の地方病撲滅への願いの強さが分かるこうして行政と地域住民による撲滅活動は終息宣言が出されるまで70年以上継続されていくことになりあらゆる手段を駆使してミヤイリガイ撲滅地方病の根絶という最終目標に向け親から子へ子から孫へと世代を越え引き継がれていった

1936年生物学者はミヤイリガイが流れの緩やかな場所に生息する特性から用水路をコンクリート化し直線化することによって流速を速め生息しにくい環境を作ることの有効性を唱えたコンクリート化事業が1956年より本格的に開始されたこうして甲府盆地を網の目状に流れる水路は大小問わず全てコンクリートで塗り固められた撲滅事業が終了した1996年の時点でコンクリート化された用水路の総延長は北海道函館市から沖縄県那覇市間の直線距離に相当する2,109キロメートルに達している

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