不便な便利屋もスピッツのEDテーマの歌詞じゃないが
巻き戻しの海をエイになって泳ぐような繰り返しのドラマかと思ってた
毒にも薬にもならない、たまにくすっと笑う、あってもなくてもいい癒し枠だとね
中盤に差し掛かるにつれ、少しずつ退屈な日常の中にシリアスな台詞が放り込まれるようになった
このドラマが視聴者を引きつける要素って、じゅんがばっさんの本当の息子であるかどうか以外に何もない
あとは勝手に好きな視点でこの物語に意味を付けていく作業なんだろう
蛇足だが、この監督さんは視聴者に構えて欲しくないんだろう
ここで泣き、ここで笑い、みたいなわかりやすい線引きと誘導を排除している
そのことを11話、突然ばっさんが携帯をじゅんに返して札幌で別れるシーンで登場人物の口を借りて言ってるね
で、自分なりに意味をつけるとするなら
活気を失った町になんとなく居着いた、自信を失った人々
この物語は町と彼らの再生の物語じゃないのかなと思った
別に感動的でもないし面白いエピソードもこれといってないが
当事者にだけわかる手触りとかぬくもりみたいなものがあるんだろう
そう思った