> 知恵のない人々(1567) < > 2025-R.7-8.17-NO.3583 <
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* 悪人たちの国家(1266) *
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「首相は反省と言うがそれは間違っている。責任を取るだろう」 戦争責任を現首相は反省と言ったが、反省
とは戦争当事者が自らの罪に対して反省をすると言うことではないのか。日本国民のほとんどは戦後生まれ
であり、戦争の当事者ではなく、戦争を指導した責任者でもない。あるとすれば戦争の実情を知りそれを理解し
国家として責任を取るだけではないか。反省と責任は似たようでもあるが、日本国民は戦前の国民と戦後の
国民では大きな知識の違いがあり、戦前の独裁国家、軍事国家、侵略国家と言う国家構造と戦後の民主主義、
平和主義などの国家構造で育った国民は戦争当事者ではなく、憲法で示されているように戦争を放棄した
国民であり、首相が言うように戦争の反省を国民に要求するのは間違いではないか。
日本は核爆弾二発による戦争に敗北し、無条件降伏と言う戦争責任を課せられ、日本の国家構造が天皇に
よる独裁から国民を主権者にする民主主義に代わり、憲法では戦争を放棄し、軍隊を保有しない国家になった。
無条件降伏したからと言って全ての国民の責任が消えたわけではなく。戦争当事者もすべて死んだわけでは
ない。しかし、国民に戦争の反省を求めても現実的ではなく、また、国に反省を求めても現実的ではない。
なぜなら、日本は戦争を放棄した平和国家になったのだから、反省するのは個人的に当然であり、国家として
反省ではなく、責任を如何に取るかではないか。
国家の国家構造は変わっても国家としての責任は別ではないか。多くの国家責任は取って来たかも
しれないが、被害者が存在する限り、反省しました。反省していますでは済まされるものではない。責任が
ある限り、残された国民はその責任を取るのが国民としての使命であり、日本国民としての名誉と思うべきだ。
戦前の国民と戦後の国民は全く別な人間で在り、新しい日本国民ではないか。それを現首相は全く
理解していない。しかし、戦争で残された日本国の負債はその負債を作った国民が払うのではなく、
現在、生きている国民が払うのは当然ではないか。軍国主義者の首相が個人的に反省するのは勝って
だが、戦争好きの日本人たちが犯した罪はその当事者の罪で在り、戦争で作られた罪は反省では
なく、責任として現存する国民が取るべきではないか。