〓2025年11月4日(火)に続き、本日2025年11月7日(金)朝もウチの芝生の上に犬の脱糞
〓早朝からウチの前で犬を引っ張ってるのは『イギリスかぶれのバカ女』のU子だけ。
〓動物愛護家 気取りのクズ女。
〓門から玄関まで薄汚い犬小屋を5つも並べ、ウルサいほど吠える黒い犬を飼っている。
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〓犬の糞が落ちていても平気の平左。
〓バカ女(U子)の愛車は、自宅の泥濘(ぬかるみ)の中に停めたユニオン・ジャックの描かれたローバーミニ。
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〓イギリスかぶれ共産党のまち佐野。
〓2001年に国立科学博物館の精査によって出鱈目と結論づけられても、それを無視して『くずう原人まつり』を続け、栃木県教育委員が協賛、市内外から児童を誘い込んでデタラメ葛生原人と進化論を植え付ける大バカ三太郎の巣食う田舎町。
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〓ユダヤ人解放政策を含む法の支配と自由主義ブルジョア憲法を広めようとフランス革命を敵視する欧州の専制国家に戦いを挑んだナポレオン1世のフランスに反抗して、反ナポレオン大同盟(特にイギリス)に莫大な軍資金を提供し、ナポレオン1世のフランスを屈服させたユダヤ系ドイツ人の御用商人ロスチャイルド。
〓専制国家プロシア、帝政ロシアとつるんで、ユダヤ人解放政策を含む法の支配と自由主義ブルジョア憲法を広めようとフランス革命を敵視する欧州の専制国家に戦いを挑んだナポレオン1世のフランスを屈服させたイギリスの王侯貴族は、プロシアや帝政ロシアと『三帝閨閥』を結成して専制君主どうしの血縁関係を強化した。
〓また法の支配のホの字もない後進国ドイツから連れて来られたハノーファー朝のイギリス王侯貴族(現ウィンザー朝)は、ナポレオン戦争に勝たせて貰った見返りとして、御用商人ロスチャイルドがアフリカ・アジアにおいて鉱物資源獲得戦争(侵略戦争)を遂行するのに全面協力しイギリス人将兵を事実上の『傭兵』として御用商人ロスチャイルドに差し出した。
37 :イギリスかぶれのバカ女。イギリスかぶれ共産党のまち佐野:2025/11/07(金) 14:33:54.65 ID:ZCuYuPCX〓女王ヴィクトリアや女王エリザベス2世の治世に売春婦が相次いで惨殺される『切り裂きジャック事件(1888年)』や『剥ぎ取りジャック事件(1964年~1965年)』が起こり、二人の女王が殺人鬼の正体(間接正犯ないし共同正犯)ではないかと強く疑われている。
>『内モンゴル人民革命党粛清事件(1966年に鄧小平が指揮)』Wikipedia
>内モンゴル人民革命党粛清事件(うちモンゴルじんみんかくめいとうしゅくせいじけん)は、1966年から1976年にかけて (文化大革命)、モンゴル人数十万人が中国共産党によって粛清された事件[1]。
>1966年に開始された文化大革命で内モンゴルへの中央からの介入がより強化され、7月12日、鄧小平は内モンゴル自治区主席であったウランフを呼び出し[3]、「内外モンゴル統一を企む民族分裂主義者」「現代の王公となって独立王国を築こうとしている」などと攻撃して失脚させた。内モンゴルでは『内人党分子』とされたモンゴル人が弾圧された。
>南モンゴル(内モンゴル自治区)出身の楊海英によると、漢人たちはモンゴル人に対し、真っ赤に焼いた鉄棒を肛門に入れる、鉄釘を頭に打ち込む、モンゴル人女性のズボンを脱がせて、縄でその陰部をノコギリのように繰り返し引く、妊娠中の女性の胎内に手を入れて、その胎児を子宮から引っ張り出すなどの凄惨な性的暴行・拷問・殺戮を加えた[2]。内モンゴルのジャーナリストや研究者たちによると、当時内モンゴルに居住していた150万人弱のモンゴル人のうち、犠牲者は30万人に達し、その後、内モンゴルではモンゴル人の人口250万人に対して、漢人の入植者は3,000万人に激増した[2]。楊海英は、事件をきっかけに「19世紀以降に満洲、モンゴル、新疆へと、彼ら漢人(支那人)が領土拡張してきた方法」により、内モンゴルは植民地開拓され、「内モンゴル自治区ではモンゴル人の人口がたったの250万人にとどまり、あとから入植してきた支那人はいつの間にか3,000万人にも膨れあがり、その地位が完全に逆転してしまいました。支那人による植民地開拓のプロセスは何処でも基本的に同じ人海戦術です」と述べている[2]。
>アルタンデレヘイ(支那語: 阿拉騰徳力海)は、「中国共産党はまず、ウランフの例でわかるようにモンゴル人の指導者と知識人たちを狙った。『文字を読める人』は殆ど生き残れなかったと言われるほどの粛清が行われた。50種類以上の拷問が考案され、実行された。たとえば、真赤に焼いた棍棒で内臓が見えるまで腹部を焼き、穴をあける。牛皮の鞭に鉄線をつけて殴る。傷口に塩を塗り込み、熱湯をかける。太い鉄線を頭部に巻いて、頭部が破裂するまでペンチで締め上げる。真赤に焼いた鉄のショベルを、縛りあげた人の頭部に押しつけ焼き殺す。『実録』には悪夢にうなされそうな具体例が詰まっている。女性や子どもへの拷問、殺戮の事例も限りがない。中国共産党の所業はまさに悪魔の仕業である」と批判している[7]。
〓文化大革命(1966年~1976年)の最中、内モンゴル人民革命党粛清を指揮した狂人ヒットラーに劣らず悪逆非道な鄧小平に対し、マーガレット・サッチャーは住民投票を一度も実施せずに香港を献上して媚を売り、数百万人の香港市民を地獄に突き落とした(1984年)。
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