> 知恵のない人々(1112) < > 2023-R.5-11.20-NO.3125 <
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* 悪人たちの国家(807) *
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「清く、正しく、美しく」これは学校の目的なのか、それとも目標なのか、深く考えると何かおかしいように
感じる。学ぶ場である学校が「清く、正しく、美しく」を学びの方針とする意味は何なのか、「清く」とは
世の中には清くない人もいるのではないか。そして、清く無かったら何か問題でもあるのか、それに
何が清くなのか、心なのかそれとも血液、人間なんて「清い」と言う言葉が当てはまるものなのだろうか。
「正しく」にても何が正しくなのか、人間に正しい人間なんているのだろうか。正しいときもあるし正しく
ないときもあるのが人間であり、「正しく」も意味不明ではないか。問題は「美しく」だ、何が美しくなのか
容姿が美しくなのか、何となく差別的な言葉でもある学校の場で美しいことが重要なのかとも思う。
「清く、正しく、美しく」は全て差別的であり、学校と言う教育の場では相応しい標語ではない。標語と
しては曖昧であり、目的が不明な単なる心地よい言葉を並べたものであり、この言葉が現在の問題を
生みだしたとも言える。不可能を可能にしようと過酷な労働を要求した結果が自殺だったとすれば、
その責任は責任者が負わなければならない。
一人の人間が日ごろの業務の厳しさに耐えかねて自殺してしまった。このことを劇団の代表者たちが
会見で見解を述べたが三人の代表者が男性であり、女性だけの女学校、劇団で代表が全て男性で
あったことも、現在では、何だか不思議な感じがしたが、この劇団は関西の大企業の一部門のようで
そんな大企業が女性中心の部門で女性の管理者もいないのか、いたとすれば会見に女性の代表者も
出すべきだったのではないか。世の中では男女同権を進めているが、身体的には女性の体は男性と
同じとは言えない。男は子供を産めないし、女は子供を産める。身体的構造は身体能力にも影響する
ので女性の管理者がこのような重要な時に出席しないのは、おかしい管理がなされているのではないか。