本当に戦争を想定しているのか疑問だ。ウクライナとロシアの戦争は始まった当初、
世界では想定外とのことだったが、何となく、戦争は想定済みのような意見も聞かれる。
ロシアに取ってのウクライナは本格的な戦争は出来ないだろうと思っていたが現実は
違った。ウクライナは死んでロシアには成らないと思っていた。
結局、ウクライナとロシアの戦争は「話し合い不足」だった。核兵器も圧倒的な軍事力
も、人間の心には勝てなかった。「嫌いなものは嫌いで、好きに成ることは出来ない」と
言うことを「ウクライナもロシアも話し合うべきだった」
現首相が作る「敵基地攻撃能力」と言う軍事力は、議長の息子の銃になる可能性を
否定できない。敵国との「話し合い」が不十分なのに軍事力を持っことで、大惨事に
成り兼ねないと言うことだ。
現首相は平和国家を捨て、軍国主義国家の道を歩みだしたが、その歩みは時代の
逆行であり、それは正にウクライナへの道に他ならない。軍事力を持つ事で戦争を
せざるを得ない訳で、国家間の「話し合い」には限界が生じ、その先は軍事的解決へと
進むか、それとも戦争しないで無条件降伏を選択するか。現在の日本国民の意思を
想像すれば、ウクライナのように成ることは死んでも回避したい。それならば無条件
降伏でいいのではないかと言う結論に達する。
平和国家で暮らした多くの国民は戦争と言う地獄には耐えられない。ウクライナの
人々は軍事国家で暮らしてきたので、戦争と言う地獄を生き延びているが、平和国家で
生まれ、平和憲法で育った日本人には戦争と言う地獄に耐えることは出来ない。
それに現首相親子に日本の戦争を任せることは出来ない。