更に、民主国家に於ける「憲法」では「主権者は国民」であり、政治家は公務員と
して「国民の奉仕者」、民主主義の時代で「奉仕者」が「国葬」なんて、在り得ない。
在り得ない「国葬」が行われたということは、幻の「国葬」、幻想の「国葬」、
偽りの「国葬」、悪夢の「国葬」、軍国主義の「国葬」、呼び名は何とでも呼べるが、
行ったものは、後には戻らない訳で、平和国家の国民としては、忘れたい「国葬」
とでも命名するか。
軍国主義者に取っては、「国葬」は素晴らしかったのかも知れないが、日本は
未だに平和国家であり、平和憲法が存在し、軍国主義者に取っては生きずらい
国なのかも知れないが「国葬」までしてもらえる平和国家は他にはない。平和国家
なのに「軍国主義者」が「国葬」になるなんて、狂っていると思うよ。
平和国家に守られている軍国主義者の人生は「葬儀」で拍手をするぐらいだから
本当はバラ色ではないのか。
「国葬」の警備体制には驚く、平和国家であり、外国の要人も来たが、平和国家
らしい警備は無かったのか、警備をするから安全ではなく、平和国家らしい
安全対策を講じるべきではないか。
殺された政治家は平和国家の中で平和国家を守らなかった政治をしたから
結果として、復讐されたのではないか。人間だれしも我慢の限界があるからね。