さて、本題はここからだ、令和の「国葬」にどのような歴史を刻めば、「国葬」としての
名誉が与えられるのか。
平和憲法は吉田茂が敗戦国日本の未来を作る為に戦勝国米国から受け入れた。
そのときの吉田茂の本心は分からないが、前後の日本の姿を見れば吉田茂も
まんざらではないのではないだろうか。「俺の選択は正しかった」と思っていることを
想像する。
現首相は令和の「国葬人」を選択した理由を長い首相在任を揚げた、そのほかも
あるが、令和の「国葬人」の偉業と言えば「憲法改正」で自衛隊の憲法への
明記、平和憲法は戦争を放棄し、軍隊の保有を認めていない。なのに「国葬人」は
自衛隊に敵基地攻撃能力を装備し、憲法に明記しろと主張し、長い首相期間、
その主張は継続した。
正に。昭和の「国葬人」、令和の「国葬人」の立場は、比較するまでも無く、
比較に成らない。
昭和の「国葬人」は平和憲法を選択し、令和の「国葬人」は軍国主義を選択した。
日本国民に一言言うとすれば「お前ら、目を覚ませ」かな。
令和の「国葬人」もいずれ、ドラマや映画になるのだろうが、今の状況では
営業的に採算が取れるか不安だ。
吉田茂の意見を想像すれば「俺と同列なのか」と上目遣いで言っている姿が
目に浮かぶ。