国民個人は弱者であり、強者の言葉に惑わされるのは容易だ、家庭の不幸を
宗教自ら演出し、莫大な献金が齎す家庭の不幸は利用され、更なる不幸を呼び込み、
不幸は不幸を重ね家庭は崩壊する。しかし、不幸に成らない組織が存在するそれは
宗教ではないか。死ぬことは不幸ではあるがお寺はそれで潤う、それが葬式か、
国民が死ぬば葬式代は個人で払うが国葬は国家が払うと言うことだ。
日本の主権者は国民であり、その国民は耐えがたきを耐え、忍び難きを忍び
理由は定かではないか゛、実母の宗教への多額の献金に家庭は崩壊した。
家庭が崩壊すると言うことは個人としては想像絶するものであったただろうと
想像できる。あらゆる手段を講じて、宗教からの実母の奪回、多額の献金の返却、
主権者である国民の立場として国家機関の警察、そして政治家、多くの知り合い、
あらゆる手を尽くしたが、結果として望みはかなわず、耐えがたい苦しみと怒りが
体に蓄積された。振り返って見れば宗教が実母に与えた献金という試練は単なる
支援ではなく、犯罪に等しく、全力を尽くし、警察にもあらゆる知り合いにも訴えたが、
全てがある壁によって、訴えが封じ込まれてしまった。それは有名すぎる政治家の
名前だった。
その宗教と元首相がどのような関係だったのか定かではないが、殺人者の訴えを
全て、阻止したのはその政治家の名前だった。
一人の政治家が主権者である国民の手で殺され、その裏に隠された地獄のような
物語を想像し、検証するとこの政治家の罪は非常に大きく、国家の闇、宗教の闇、
政治家の闇をあからさまにするような事件だったのではないだろうか。
仮想敵国を作り、憲法で禁じている軍隊を拡大しようとした政治家が国葬である
なるならば、仮想敵国が核兵器を製造し、日本を危険に晒したのもこの政治家では
ないのか。この政治家が国葬であるならば日本民主主義の国葬も行うべきだ。