兵士とウクライナの民間人が犠牲になり、独裁者や政治家たちの戦争主犯者は
安全なところで死ぬこともなく、戦争の行く末を見ているだけ、非常に不可解な戦争で
あり、犠牲者の命の価値は儚いが犠牲者たちの家族や親族、知り合いの悲しみは
非常に大きく、取り返しがつかない。
何の為の戦争なのか、何のための犠牲者なのか、人々は命を失い、人々が築き
挙げた歴史は破壊され、ただ、国土と国民を守る為に多くの人々が死に、国土が
破壊される。
世界の人々はウクライナに武器を与え、物資も与えてはいるが、未だに侵略国家
ロシアとの貿易は続け、日本も未だに侵略国家から漁業権を多額の金で買っている、
食べる為、生活する為、幸せに成る為、理由は色々あるだろうが、侵略国家ロシア
による犠牲者のことを考えた末の決断であれば、それは侵略国家を認めたことに
なり、無差別殺人、無差別攻撃、無差別略奪を容認したことにもなる。
世界の情報が手に取るように明確に知ることが出来る現在、悪人は誰なのか、
独裁者が虐殺者であるのはどこの国なのか、日本人なら誰でも知っているはずで
あり、その悪人と商業取引をすることが如何に明確であることを知っている
筈であり、ロシアに儲けさせることがどういうことか分かっている筈だが、背に腹は
変えられないということが通用する時代ではないということも理解しなければ
ならない。