金星の大気からホスフィン検出、生命の痕跡である可能性も #439

439番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2023/12/29(金) 09:22:45.27 ID:wwD2+GU+

浄土の勝劣
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阿弥陀仏の浄土は報土か化土か、という勝劣の義論。中国において隋代の浄影寺慧遠、智顗、吉蔵などによって論じられている。
誓願と修行の結果できた国土(報土)とみなすか、衆生の教化のために化現した国土(化土)とみなすかという浄土観は、西方浄土の勝劣を判ずることにもつながる。

阿弥陀仏の浄土を凡夫の往生する浄土とすれば、その浄土は事浄麤国そこくの化土であり、報土とすれば地上の聖人しか往生できないとする。
前者は隋代の諸師の解釈によるものであり、後者は『摂大乗論』の浄土観によるものである。
したがって『摂大乗論』の学者は念仏別時意の説ともかかわり、阿弥陀仏の浄土を報土と認めるのであるが、凡夫の往生は認めず、また迦才などは報化の二土に通ずと考え、化土往生を凡夫とし、報土へ往生するのは地上の聖人とする折中説を述べている。
このように凡夫の往生を許す浄土は低く、劣であるのに対し、浄土を高く評価し、勝と為すものは凡夫の往生を許さないのであるから、三者とも凡夫の報土往生を認めていないのである。

これに対して善導は曇鸞・道綽の説を踏まえながら、『無量寿経』に説く法蔵比丘が修行時代(因位)に四十八願をおこし、「若不生者不取正覚」と誓い、成仏したというのは酬因感果身であることを顕すものであるとし、浄土得道をもって報身となすという『大乗同性経』の説を経証として阿弥陀仏の浄土を報土とし、しかも本願他力の念仏行によって、その報土に凡夫が往生できることを説き、阿弥陀仏の本願の聖意を開顕した。
この古今楷定ここんかいじょうの説こそ弥陀浄土の勝の義をあらわしたものである。

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