四箇格言を教学とする日蓮宗の存在は、単に天台宗の方針の帰結
鎌倉時代、天台宗(正式名称:天台法華宗)が、「承元の法難」「嘉禄の法難」などで、浄土教を商売敵と見なして弾圧した事件が起こっている
後者の場合、天台宗として朝廷に対し、浄土宗の僧たちを流罪に処し、法然の墓を破壊して遺骸を鴨川に流すように訴えでるなどした
その方針を引き継いだ天台僧の日蓮が、法華一乗を掲げて、まず「念仏無間」と浄土教を攻撃する、ここまで普通のこと
その流れで、法華一乗を掲げる日蓮は、浄土教と同じ鎌倉仏教の禅宗に対しても、「禅天魔」と呼ばわり商売敵として攻撃する
その流れで、法華一乗を掲げる日蓮は、鎌倉以前の宗派で非天台の真言宗や律宗・真言律宗に対しても、「真言亡国、律国賊」と商売敵として攻撃する
天台からはしごを外されて破門されて、法華至上主義の日蓮宗になる
天台法華宗の坊さんが日蓮法華宗の坊さんになっただけのこと
日蓮の所依とする法華経も含めて、顕教経典には真言が記載されており、インド大乗仏教の学僧は、顕教経典と密教経典の併用を想定していたとも思われるが、この点で日蓮は天台顕教回帰を言いつつ、「法華経記載の真言には大した意味はない」として、経典の文言から乖離している