中期経典の浄土教をインドの坊さんが焼き捨てたわけではない
初期経典の法華経も焼き捨てたわけではないどころか、真言が記載されていて、密教との併用も想定される
じゃあ、後期経典の密教やりながら空海のように初期・般若経を読むのと、覚鑁のように中期・浄土教を読むのと、何の違いがあるのかって話にもなる
と考えると、新義への批判は当たらない
中期経典の浄土教をインドの坊さんが焼き捨てたわけではない
初期経典の法華経も焼き捨てたわけではないどころか、真言が記載されていて、密教との併用も想定される
じゃあ、後期経典の密教やりながら空海のように初期・般若経を読むのと、覚鑁のように中期・浄土教を読むのと、何の違いがあるのかって話にもなる
と考えると、新義への批判は当たらない