民主主義が破壊され反知性主義が跋扈する社会では言語そのものが変質せざるを得ない。オーウェルは『1984』において思考の自由が一切許されない究極の監視社会を描いており,そこでは矛盾する2つの事柄を同時に信じる「二重思考(doublethink)」が強いられている。現在の日本でも二重思考が次第にはびこりつつあると思う。例えば,「論文についてのやりとりは論文上でおこなうべきだ」としながら批判論文に応答しないのは,まさに二重思考である。二重思考は考えること自体を成り立たせなくする。宮崎・早野論文問題は科学の危機であるだけではなく,危機にある日本の民主主義の問題であると考える。
https://www.iwanami.co.jp/news/n41206.html