岡田、唐沢らの言説に心が離れていったことにはいくつかの理由がある。
まず二人の出してくる話題が時代遅れ、マンネリになってきたこと。
2人とも最新のオタクコンテンツ事情にまったく疎かったし、「また昔のアニメ・特撮の話か」と飽きがきてしまった。
いろんな本を読むうちにアカデミアの人が語るサブカル論に心が移ってきて、さらにそこから一般的な歴史や文化史の本を読むようになった。
インターネットの影響もある。今まで一人で岡田の本を読んでいたわけだけど、ネットにある他の人の論評を読むと、どうやら彼も完全無欠な人間ではないようだ。
唐沢の盗作騒動が出てくるまえに、心はすっかり離れていた。
しかし、彼らには感謝している。初めて自分のアイデンティティを肯定できたのは彼らのおかげだし、いろいろ本を読むきっかけにもなった。
だからこそ、今の姿を見ると残念でしょうがないのだが……。
自分も年を取り、結婚をして家族ができて、いつの間にかアニメを見ることも少なくなった。
ネットフリックスで見るのはもっぱらハリウッド映画。『シェイプ・オブ・ウォーター』に泣く始末。すっかりオタクじゃなくなってしまった。
現在の自分を否定も肯定もしない。「ま、こんなもんだよねぇ」って気分である。だけど、あのころの情熱はほんとうだったよ。
そうそう、「と学会」。これを初めて読んだときも衝撃だった。特に最初の2冊。
この本によってニセ科学やオカルトへの耐性ができた。そういう人は多いんじゃないかと思う。
(おわり)