「ネット」と「紙」、炎上の発火点のちがい(古市憲寿)
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(一部抜粋)
昔、雑誌「プレジデント」で、田原総一朗さん、津田大介さんと鼎談をした時のことだ。誰もががむしゃらに働く必要はないという話題になり、まず津田さんが「稼ぎが落ちても、困ったらすき家がある」と発言した。
それに対して僕が、牛丼は日本型福祉の一つと応答した。北欧のように国家が福祉を提供する国と違って、日本では牛丼などのファストフードが福祉の役割を果たしているという意味だ。
この鼎談、紙の雑誌に掲載された時は全く話題にならなかった。しかし全く同じ内容がネットに転載されたら、ツイッターで意識高い人々が騒ぎ始めた。牛丼が福祉とは何事だ、というわけである。
彼らは、福祉とは国家が担うべきものであり、牛丼しか食べられないような食生活を肯定するとはけしからん、と言うのだ。
しかし福祉国家論では、福祉の提供は国家、市場、家族など複数のアクターを想定するのが常識。しかもすき家を経営するゼンショーの理念は「世界から飢餓と貧困を撲滅する」。自分たちを「社会インフラ」と位置づけ、災害時にもいち早く炊き出しや営業再開をしている。これはもう、立派な「福祉」の提供者と言っても過言ではないだろう。
ソース
https://www.dailyshincho.jp/article/2018/05100555/?all=1
週刊新潮 2018年5月3・10日号掲載