戦後、第一次、新興宗教論争の渦中にいた三笠宮崇仁親王の件
三笠宮崇仁の紀元節批判(1957年)
明治に再・創話された神話の世界を信じる迷信的な皇室神道
皇室神道は国家神道であり,私家・民間用の神道ではありえない
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1014400198.html
三笠宮崇仁親王——皇族、軍人、そして歴史学者として
皇紀も紀元節の日付もはっきりと架空としてしりぞけ
三笠宮の主張は、特定のイデオロギーによるものではけっしてなかった
https://cakes.mu/posts/14652
三笠宮崇仁親王「歴史の研究は年代の枠を土台として進められる。もしこの土台に少しでもゆるぎがあったならば、いかにみごとな歴史を組み立てても、それは砂上の楼閣にすぎない。私は重ねて歴史研究者として、架空の年代を国の権威をもって国民におしつけるような企てに対しあくまで反対するとともに、科学的根拠、いいかえれば今まで考古学者や文献学者が刻苦精励、心身をすりへらしてまでも積みあげてきた学術的成果の上に立って、改めて日本古代の神話伝承の研究をさらに推し進めるような計画を、政府も国民も一致して進めて頂きたいと心からこいねがうしだいである」