年金生活の老人しか戻れないのが現実
ほとんどの市民が、形の上では帰還できるようになったが、帰還に向け自宅への準備宿泊を登録していたのは二割ほど。
売り上げが見込めないことや経営者の高齢化から、多くの店が閉じ、空き地も目立つ。
商店街の放射線量は毎時〇・一五マイクロシーベルト(ミリシーベルトの千分の一)で、国の除染の長期目標(〇・二三マイクロシーベルト)よりも低い。
市の南西部、山に近づくにつれて線量は上がり、一マイクロシーベルトを超える場所もあった。
市街地から車で十分ほどの集落では、八十世帯のうち、農業門馬一雄さん(75)と信子さん(73)の夫婦だけが自宅に戻っていた。
市内の仮設住宅に避難していたが、賠償の格差や、自宅に帰れるかどうかで住民の間がぎくしゃくし、仮設を出たかった。
事故前は息子夫婦と小学生の孫が同居していたが、市外に移住し、老夫婦だけの寂しい帰還となった。
二人だけなら、年金でなんとか暮らせそうだ。
生活のためにも、野菜は自分で育てたものを食べたい。
だが、畑は除染のため表土をはいだ後に入れた山砂が石だらけで、農地としてはまだ使えない。
やむなく裏手の屋敷林を開墾した。暑さの中、木の根の除去など高齢の夫婦にとって厳しい作業だった。稲作は「二人では無理」とあきらめた。
周りではイノシシがわが物顔で走り回る。作物は市役所で検査後に口にする。
「汚染が心配だから孫には送らない。食わしてやりたいけど…」と信子さん。
避難指示は解除されても、原発事故の影はつきまとう。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201607/CK2016071302000126.html