仮に彼の言う通りだったとしても、仕事を失った人は無益な人間ではない。
アメリカだけでも9,300万人の無職の人間がいるが、彼らにはそれでも価値がある。
実はハラーリ氏の言う”無益”にはきちんとした定義がある。
「このとても不穏に聞こえる用語を選んだのは、私たちがそれを経済や政治システムの中で捉えており、
倫理的な視点から論じられることはないという事実を浮き彫りにするためです」と彼は説明する。
現代の政治経済システムは人を国家にとって有用な存在とするために作られた。
その象徴的なものが労働者と兵士だろう。
そうした役割が機械に取って代わられてしまえば、今の政治経済システムは人にほとんど価値を見出さなくなるのだ。
こうしたことはいずれも、私たちを神の領域へ高めるものではない。それどころか、
ハラーリ氏の予測はもっと救えないものだ。
個人はこれ以上国家へ貢献しなくなるだろうが、国家はまだ個人に貢献するかもしれない。
「ひょっとしたら、ずっと大変なのは朝起きる理由を見つけることかもしれません」とハラーリ氏。
労働する必要のない世界が近づいてきたと知って拍手喝采を送る人々にとって、
満足はお金を払って手にいれる商品のようなものとなるだろう。
気分や幸福感はドラッグで作り出し、興奮や愛情といったものは外の世界ではなく、
現実そっくりなバーチャルリアリティで手に入れる。
そのどれからもある疑問へと辿り着く。
「一体何をすべきなのか?」これを真剣に考えてみてほしいとハラーリ氏は話す。
「そして、それを科学のテーマとしてだけではなく、政治の場でも話し合うのです。
これは科学者や民間企業に託していい問題ではないのです。
彼らは技術的、専門的なことについてはよく知っているでしょう。
ですが、人類がたどる未来を決めるヴィジョンや正当性を必ずしも有しているとは限りません」
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