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?経産省の野心がうかがえるのはM&A(合併・買収)の分野だけではない。アベノミクス・プロジェクトの主任執行者であるかのように振る舞う同省は、日本の武器輸出計画の中心に陣取り、新エネルギー、人工知能(AI)、ロボット工学などのプロジェクトも主導している。
そのためアナリストからは、国家主義的な解決策よりも本当に最善の解決策を優先させることについて経産省はどの程度熱心なのか、という問いが発せられている。
「ある企業が投資を模索していて、日本と外国の両方の選択肢があった場合に、我々としてはどちらを選んでくれても構わないと言ったら、それは不正直だろう」。同省のある職員はこう語る。「事業のシナジー(相乗効果)があって、オールジャパン・チームを作れるのであれば、我々はとしてはそちらの方を好む」
司令塔の老い
真の権力を握るとは、そしてそれを手放すとはどういうことなのか。経産省はそれを知っているがゆえに苦しい思いをしている。
第2次世界大戦後の復興期に、同省は大変な影響力を誇っていた。奇跡的な高成長を遂げた1970年代は特にそうだった。『The Enigma of Japanese Power(邦訳:日本/権力構造の謎)』や『Japan: Who Governs?(日本:統治者は誰なのか)』といった国際的なベストセラーは同省の活動に着眼した作品だった。
同省は計画経済の主要な操縦者の役目を担い、世界と対決する使命を与えられていた。現職の首相に話を聞いてもらえるだけでなく、首相の座に登りつめる政治指導者は必ず通るとされた関門でもあった。
2016年の今、経産省の影響力はどれほどのものなのか。これを推し量ろうとすると、アベノミクスにはまだ何を達成できる望みがあるのか、安倍政権では政治力はどのように利用されているのか、そして経産省の活動は本当に日本のためになるのかといったもっと深い問題に突き当たる。
東京証券取引所のトップを務め、現在はコールバーグ・クラビス・ロバーツ(KKR)の日本法人会長である斉藤惇氏によれば、経産省がアベノミクスの機会をとらえることになぜあれほど積極的だったかは簡単に理解できるという。
「中国の台頭について重要なのは、真の市場ベースの資本主義が中国という国家に太刀打ちできないときもあるのだと、ほとんどの先進国が理解したことだ。ほとんどの先進国の政府高官は、自分たちの決断で自国の企業を支援すれば、企業がもっと効果的に中国と競う助けになり得ると考えている」と斉藤氏は述べている。
全盛期を過ぎた後の経産省は面白くない日々を送った。2014年から2015年にかけては、スキャンダルのために大臣が2度も交代した。デフレの進行と企業の節約のせいで同省の威信も低下した。
?首相になるなら経産相を一度経験しなければならないということもなくなった。重要な統制手段――とりわけ重要なのは、企業への外貨の割り当てだった――は、ほかの省に譲ったりそっくり消えてなくなったりした。
経産省が支配した経済は、それを営む国民とともに、老いが出始めた。影響力を最も強く行使できた重工業も、経済のサービス化に伴って重要性が低下した。経産省は力を失い、自信を失った。2001年に同省の英語名から「international」という単語が外されたことは、日本が内向きになったことを図らずも物語っていた。
指導者の影響力
2012年に政権を握った安倍晋三氏は、自分の経済再生プログラムの柱に経産省を据えた。政治の専門家やエコノミストたちの話によれば、同省が舞台の中央に戻ってきた要因はいくつかあるとい