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■民主、自由両党の合同前に
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岸氏関連年表
保守合同前夜の1955 年7月9日午後、東京の在日米大使館。
当時の民主党幹事長だった岸信介元首相は、大使館のジョージ・モーガン参事官に招かれた。
「キングサイズのスコッチ・アンド・ソーダ」を片手に約3時間半。モーガン氏の質問に冗舌に答える岸氏の姿があった。
膨大な米公文書の調査などを基に戦後の日米関係を米国側の視点で描いた「『日米関係』とは何だったのか」の著者、
米アリゾナ大のマイケル・シャラー教授(68)が90年代に見つけた大使館から本国への報告文書には、その時の様子が詳しく記録されている。
民主、自由両党の合同はまだ時期が公になっていなかった。
民主党を主導する岸氏は、合同が11月ごろになるとの見通し、新党首選びの状況、憲法改正や積極的な反共外交政策の採用、再軍備促進といった
新党の政策などについて情報を「提供」(シャラー氏)。
社会党の動向に関する推察も伝えた。いずれも米国側が欲していたとみられる。
■岸氏こそ米国の政策に合致
岸氏は戦前、在日米大使だったジョセフ・グルー元国務次官とじっこんだった。
同氏が日本で立ち上げたロビー団体の米誌東京支局長は、民主党幹事長時代の岸氏の英会話の家庭教師。
支局長らは米政府に日本の政治状況などを報告、岸氏を売り込んでいたという。
50年代、反共のとりでとして日本に安定した保守政権の誕生を望む米国の思惑をよそに、54 年12月に退陣した吉田茂首相の後を継ぐ鳩山一郎、
石橋湛山両氏はそれぞれソ連との国交回復、日中関係改善を志向。
もともと反共・反ソで保守合同の強力な推進者、岸氏こそ米国の対日政策に合致する政治家だった。
ロビー団体の人脈などを通じて、米国は岸氏をさらに「磨いた」とシャラー氏は語る。
シャラー氏によると、50年代半ば、在日米大使館員が岸氏と会ったり、酒を飲みに行ったりしたとの記述も文書に散見された。
岸氏がモーガン氏と会った当時の首席公使が、岸氏を「傘下に納めた」と記したグラハム・パーソンズ 氏。
大使館と岸氏とは深い結びつきができていたとみられる。
続く