「岸信介を傘下に納めた」日米双方の思惑が築いた蜜月関係
西日本新聞 10月12日 8時30分配信
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1957年6月、米ホワイトハウスで会談した岸信介首相(前列中央)とアイゼンハワー大統領 (同左)(AP=共同)
憲法改正を目指し、対米自立を望んだ岸信介元首相は、首相に就任する前から米国の冷戦戦略に取り込まれていた?。
そんな認識を示す文書を、日米外交に深く携わった元米国務次官補が残してい た。
孫の安倍晋三首相の政治姿勢にも強い影 響を与えた岸氏だが、背景を探ると、もう一つの顔が浮かび上がった。
文書はワシントン近郊のジョージタウン大図書館にあった。
戦前戦後に在日米大使館で勤務し、1960年の日米安保条約改定時には極東担当の国務次官補を務めたグラハム・パーソンズ氏の文書コレクション。
パーソンズ氏は、退官後の80年代前半に書いたとみられる未刊行の自伝で、岸氏に関してこう語っていた。
「戦犯(容疑者)だった岸氏は50年代半ば、大使館のわれわれによって傘下に納まった。その後、(自民)党総裁になり、信頼に足る忠実な協力者となった」(「傘下に納まった」の原文は「cultivate」。
和訳は文書を見つけたオーストラリア国立大のテッサ・モーリス・スズキ教授と吉見俊哉東大大学院教授の共著「天皇とアメリカ」=2010年刊から)
63年の同僚宛ての手紙にも「われわれは54年、岸を傘下に納めた」。そこには有望な政治家と見なす岸氏を取り込んだ、との視点が鮮明にうかがえる。
55年の保守合同で自民党が誕生する直前の混乱期。保守派リーダーの一人だった岸氏は、米国とどうつながっていたのだろうか。
続く