よくわかる、なぜ「五輪とリエージュのロゴは似てない」と考えるデザイナーが多いのか?
まず、みなさんに質問です。
漢字の「井」は、番号記号である「#」のパクリでしょうか?
要素だけで考えると、明らかな模倣に見えます。でも皆さんは「似てるけど明らかに別物だよね」と感じているはず。
なぜ私たちは、これらが完全に違うモノだと直感的に理解できるのでしょう?
<略>
結果的に「デザインは大衆がよいと感じたものが一番だから、大衆が選ぶべき」という声があがりつつありますが、それはそれで乱暴な考えです。
なぜなら大衆がジャッジできるのは、デザインにおける直感的な良し悪しだけだからです。
ところが前述したように、デザインは課題解決や設計であって、美しさやキャッチーさは全体の一部でしかありません。
今回の軸となった展開性であったり、文脈、文化的な意義、あるいは5年後にも飽きがこないか?といったことは、ある程度の専門知識がなければ評価できないことです。
このあたりのお話は【佐野氏エンブレムのどこが良いか】によくまとまっています。
形状の第一印象だけでデザインを選択することは、建築におきかえて「ビルは外見さえよければ強度設計どうでもいい」としたり、
あるいは芸能におきかえて「開会式はジャニーズやAKBでわかりやすくすべき」と例えれば、単純な印象やポピュリズムでデザインの判断をする危険性が想像しやすいかもしれません。
本来は専門性の高い意思決定は、信任によりプロへ権限委託されるべきものです。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/takayukifukatsu/20150907-00049112/