舛添、新国立競技場問題のずさんで無責任な計画、危機意識のなさを旧陸軍の壮大な無責任体制に例える
【舛添都知事日記】新国立競技場の建設について、誰が最終的 に責任を持つのか!?
2015年05月19日(火) 舛添 要一
http://gendai.ismedia.jp/articles/43364
■新国立競技場の建設は間に合うのか
―略―
このように精力的に2020年大会の準備を進める過程で気になるのが、新国立競技場の建設である。
「国立」である以上、国が責任をもって建設すべきであり、都がとやかく言う問題ではないが、これは開会式を行うメインスタジアムなので、その建設の行方には、重大な関心を持っている。
しかし、建設費や工期などについて、国民に十分な説明はなされておらず、 責任の主体も明確ではない。
建設についての国民的合意を形成する前提となる、情報公開もなされていないとなれば、議論のしようもない。
しかも、旧 競技場の解体に至るまでに、入札不調で時間を浪費してしまい、建設のための時間が少なくなっている。
果たして、建設は間に合うのか、屋根を付けるところまで辿り着けるのか、さらには、1,692億円という整備で済むのかと いった、さまざまな疑問が湧いてくる。
■国民と対話を行わないかぎり、悪夢が現実のものとなる
私はいま、そのような懸念を抱いており、新国立競技場の完成について危機感で一杯である。
5月18日(月)の11時に、下村文部科学大臣が都庁に来られ、新国立競技場について東京都にも協力するように要請があった。
私が昨年の2月に就任して以来、初めての要請である。
私が都知事になったとき、新国立競技場の建設については、「1,500億円の整備のうち、500億円を東京都が負担することになっている」ということが巷間言われていた。
そのような約束を誰と誰が行ったのか、知る術も無い。
国と東京都が正式に約束したのなら、公文書で協定書を交わすべきであるが、 そのような文書もない。
そもそも、このような国家的大事業の経費負担を、リーダーの口約束などで決めるべきではないし、そのようなことで500億円もの都民の税金を使うことが許されると考えるのは、あまりにも稚拙である。
本当にそのような「密約」があったとすれば、それを結んだ者は猛省すべきであるし、今の知事である私が、そのような口約束に拘束される理由は断じてない。
したがって、国からの整備費負担の話は、5月18日に、はじめて正式に来たものであることを明確にしておきたい。
そして、その国の要請を受けるもなにも、前提となる必要な情報すらない。