戸田自身が新聞のコラムで翻訳家は映画全員分の役になりきって翻訳すると語っていたが
いい歳した老婆の感性でなりきった役で翻訳するわけだから今の視聴者とズレがうまれるのは当然である
文字数縛りの中での表現ではあるがその中の言葉のチョイスをするのは老婆の感性でされるわけで
そのズレをうまく言い表せない視聴者の不満が誤訳だ~という無理やりあげ足批判につながるというわけです
つまりババァが一線で活躍できるほどたいしたことない業界なんですか?
翻訳の業界を整備するとか先生的な事して後続を育てるとかする時なんじゃないですかという事です