古事記
白鳥は伊勢を出て、河内の国志幾に留まり、そこにも陵を造るが、やがて天に翔り、行ってしまう。
日本書紀
白鳥の飛行ルートが能褒野→大和琴弾原(奈良県御所市)→河内古市(大阪府羽曳野市)とされ、その3箇所に陵墓を作ったとする。こうして白鳥は天に昇った。その後天皇は、武部(健部・建部)を日本武尊の御名代とした。
『古事記』と異なり、大和に飛来する点が注目される。
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、、そして、、その後で、、周辺の村人の何者かと普通に日本武尊が話している様子を見た人もいたが、、訳が分からず普通に気にもされずにどこかへと姿をくらませていくのを見送って過ぎていった、、と考えられるというのだ、、。
、、そして、、歴史にも残らない、、もっと違った数人の仲間を引き連れて少々徘徊した後、、そそくさと死んで生まれ変わっていったはずなのだ、、。