いたずらけいさつのいたずらけいかんがこくみんにいたずらをしている4 #923

923鳳雛:2024/08/26(月) 07:26:27.86 ID:4DWRMa1Z

に橋頭堡を持っていたオランダのフリーメーソンが主導権をとって日本征服の計画を練ったものと思われる当時の清国に対してとった武力侵攻政策を日本に適用することは否決されたと言われているそれは日本を武力で侵攻することに成功の保証がなかったからである日本は侍の国であってペリーの来航66年も前の1786年に海国兵談などで外国の攻撃の危険を説いていたその後多くの人が外国からの攻撃の危険を論じ幕府はじめ各藩は海防を厳にしていた事情があるアヘン戦争が1840年であるからいかに先覚の士であったかがわかる日本侵入に関するフリーメーソン上海会議はアヘン戦争以後数年以内に行なわれたものであろう日本侵入の第一着手としてアメリカの東洋艦隊による日本強制開国が決定されたものと思われるではなぜイギリスではなくてアメリカだったのかという問題であるがイギリスに対してはアヘン戦争における清国での行状から日本人は極端な悪感情を抱いておりまたオランダは長年にわたって長崎出島に住みつき幕府に対しては極めて恭順の体裁をとっていたのでいずれも日本に開国を迫る当事者としては不適当であったそこでフリーメーソン国家アメリカが呼び出されその任を授けられたのがペリーであったのだろう極めて興味深いのはペリーに対するアメリカ大統領の訓令に決して武力を行使してはならないことが記されていたことであるつまり日本の武士たちの対面を大砲によって破ることはその後に計り知れない悪影響を及ぼすことを彼らは悟っていたのであるアメリカ海軍のペリー提督は日本開国について十分知識を集めて研究をして来たものであり衰弱した幕府官僚は一方的に条件を呑まされるしかなかったのであるこのときフリーメーソンはどういうプロセスを経て日本を手に入れようとしたのかそれは当時の事情から分析することができるつまり彼らの常套手段――対抗勢力を操って内乱を起こさせる――を使ったのである幕府に入ったのがフランスフリーメーソンでフランスから相当規模の使節団を入れて借款を申し入れているつまり薩長土肥の倒幕派に対して幕府が十分戦闘できるだけの軍資金と兵器弾薬の提供を申し出たのである一方薩長側にはイギリスフリーメーソンがついており長崎に駐在していた武器商人のトーマスグラバーを通じて相当の便宜供与を行なったこうして日本を内乱状態に陥れそのどさくさに紛れて日本の植民地化を図ったのであるこの時日本に2人の英雄が現れた一人は官軍の参謀総長である西郷隆盛もう一人は幕府軍の参謀総長勝海舟であった西郷と勝が小人物で英仏フリーメーソンの影響を受け金で買われていたならばとんでもない大戦争になり江戸は焼け野原になって今日までも大きな禍根を残しただろうこのような事情からフリーメーソンはその後も日本への侵入と日本国家のコントロールをきわめて長期の計画で辛抱強く進めてきたその後の日本の政財界の西洋一辺倒の風潮に乗って彼らがその本心を隠して日本の著名な人士勢力を持つ人物にそれとなく浸透していったことは間違いない当時の元老西園寺公望などは10年間もパリに滞在したのち帰国しているが彼は公家出身者で公爵でありながら完全にしかし隠微にメーソン的思想のもとに行動した人物であるフリーメーソンは現在の日本の政財界にも深く浸透していると考えて間違いはないだろう日本を日米戦争に導く構想が始動したのは1921年のワシントン軍縮会議であるそれ以来日英同盟の廃棄中国における排日思想の誘発満州における張学良を使っての日本との紛争の惹起満州事変への誘導などの手が打たれさらに中国共産党と連携して支那事変を起こさせ蒋介石を指導援助し


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