フランスの東インド会社は1604年であるその後のイギリスオランダフランスの植民地経営を見ると現地の住民を教育するといった考えはなく単に労働力として酷使したのであるまた現地人で頭の良い者は本国の大学に入れて植民地政府の従順な官吏として使ったさて英蘭仏の東インド会社なるものは主としてユダヤ系の勢力によって作られたものであり太古の中東から脈々と流れる精神が深く隠されていたのである彼らの植民地支配の内容を見ると流血と詐取と搾取の跡が歴々としているこういうことは本来の敬虔なキリスト教徒である本国ヨーロッパ人は避けていたことであろうたとえば中国に侵入したイギリスの行なったアヘン戦争とアヘンの中国への無制限の持ち込みといいったことは尋常の精神で考えられるものではない以後の中国は上海を中心とするサッスーン財閥その他のもともとアヘン貿易によって資産を成した者によって牛耳られていったのであるフリーメーソンの起原あるいは性格については今日でもごく最内部にいる少数者を除いて十分に知っている者はいないと考えられるがこの東インド会社なるものの行動規範にフリーメーソンがまとわりついていることは疑う余地がないところですでにアヘン戦争を起こして中国に入り込んでいたイギリスがなぜ日本に真っ先に来ないで代わって米国の東洋艦隊司令官マシューペリー代将が江戸埠頭に現れたのかこれは各国フリーメーソンの共同謀議の結果と見るべきであろう彼らがアジア諸国を植民地化するに際して用いたのは現地の王侯大商人等をフリーメーソン組織に入れあるいは彼らを操って内部抗争を起こさせその混乱に乗じて全体を手に入れるという手口であったインドなどはその典型であるたとえば戦前の中国はまさしくフリーメーソンによって四分五裂の状態に陥っていた孫文も蒋介石を取り巻く人物の多くもフリーメーソンであった蒋介石の婦人は宗美齢だがこの宗一家はことごとくフリーメーソンであったそして周恩来もまたフリーメーソンであったと言われている周恩来は若いころフランスに留学しているそれでは彼らは日本に対していったいどういう手を用いたか幕末をフリーメーソンの光に照らしてみると当時の事情が鮮明に浮かび上がってくるペリーの来航前フリーメーソンは彼らの占領していた上海で日本征服の会議を開いたと伝えられているその時期や場所内容は現在のところわかっていないおそらくその当時長崎の出島