いたずらけいさつのいたずらけいかんがこくみんにいたずらをしている2 #371

371名無しさん@Next2ch:2023/08/15(火) 17:23:37.70 ID:6q3QDbVI


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(改訂版)作戦術の考察――ドイツ式ソ連式アメリカ式
作戦術という区分がある戦略以上と戦術以下の定義は現代兵学で概ね万国共通と言ってよいどこか一つの体系の定義を理解すれば他の体系でも大体通用するだが作戦術はそうもいかない未発達な概念であり春秋戦国時代の諸子百家の如く様々な定義が存在すると言っても作戦術と称するものを全て考察する必要はない触れておくべき系統はたったの三つである作戦術には三系統しか存在しないビューロー由来のドイツ式スヴェーチン考案のソ連式借り物のアメリカ式である他の系統は存在せず存在しても敢えて考慮する必要はない軍事理論の大方は源流を辿るとこの三ヶ国に行き着くし作戦術に限ればドイツソ連アメリカの系統はそのまま発達の歴史でもあるドイツ式は決勝会戦を基調とする戦略としては低級で戦術としては高級な領域を出発点とするがビューローの提案も空しく最終的には限定的な戦略状況を生起するために戦術的成果を誘導する術に落ち着いたつまりドイツ人の作戦術は教条的な殲滅教義を前提とし流動的な戦術行動を所与の到達点である決勝会戦に繋げるための術である戦術行動を決勝会戦に繋げることがなぜ高級な戦術止まりの片手落ちに終わるかの説明を加えることにしたそもそも決勝会戦への傾倒の背景にあるものは戦術的成果の単純な向上が自動的に戦略的成果の増大に繋がるという直線的思考法であり戦略的視野が啓かれているとは言いがたい決勝会戦は当然戦争を決する戦略的意義を持つものであるが会戦それ自体はあくまでも戦術次元の現象に過ぎないドイツ式作戦術は高級な戦術ではあっても低級な戦略ではないビューローの提案がどこで駄目になってしまったかはわからないクラウゼヴィッツの時点ではまだ大丈夫だったモルトケの辺りで認識が怪しくなったことは確実だがまだ手遅れではなかった軍事的領域に引き篭もったシュリーフェン以降は確実に手遅れであるドイツ兵学界の潮流が漸進的に視野狭窄に陥っていったと言うべきであろうソ連式作戦術の説明の地盤固めも兼ねてこの失敗についても考察を加えておく結論から言えば彼らは戦争を取り巻く環境の変化を読み誤ったクラウゼヴィッツが制限戦争概念に到達することで察知したフランス革命戦争以後の戦争の質的変化に彼の後継者達は気づくことがなかったクラウゼヴィッツがナポレオンの赫々たる成果に一旦眩惑された後に実際の戦史を振り返って正気に返ったのと違いモルトケ以後のドイツ人は眩惑状態のまま砂上の楼閣を築き上げてしまったここで言う戦争の質的変化は遅くとも十八世紀末のフランス革命戦争によって早ければたとえばカエサルのガリア遠征の時点で既に顕在化していた戦争の時間的空間的な大規模化を指すつまりごく狭小な戦場で会敵した一部隊乃至一軍の若干回数の会戦や機動で全てが決するようなことがなく複数の戦場を含む戦域に展開した複数の部隊乃至軍が同じく展開中の敵軍と個別の戦場で数次に亘る会戦や機動を試みる戦役を複数回繰り返した結果の総計として全体の勝敗が決するようになったことがそれであるもちろん十九世紀以後のドイツ人の視界にこの変化が入っていなかったとは言わない問題はドイツ人がそれを克服可能な課題と看做してしまった点にあったドイツ人はおそらく決戦が決戦の役割を果たさず戦争が長期化する理由を決戦の威力不足と考えたのであろう論理的には間違っていないナポレオンが一億人の兵士を動員していればナポレオン戦争は一年も経たない内に終わっただろうモルトケシュリーフェングデーリアンマンシュタインハルダーらの

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